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伊那毘能大郎女
投稿日時:2017-09-25 11:15:21漢字・読み | イナビノオオイラツメ |
別名 | 針間之伊那毘能大郎女・播磨稲日大郎姫・稲日稚郎姫 |
伊那毘能大郎女(イナビノオオイラツメ)
針間之伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)は古事記に登場する人物。日本書紀では「播磨稲日大郎姫(稲日稚郎姫)」。景行天皇の妃となり幾人かの子供を生んでいる。その子供の一人が「ヤマトタケル(小碓)」。
伊那毘能大郎女の父親は吉備臣らの祖の若建吉備津日子(孝霊天皇7代の皇子)。よって伊那毘能大郎女は孝霊天皇の孫にあたる。
古事記では妹に伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)がいて、同じ景行天皇の妃となっているが、日本書紀では同じ音の「稲日稚郎姫(イナビノワカイラツメ)」は播磨稲日大郎姫の別名とされている。
伊那毘能大郎女の父親は吉備臣らの祖の若建吉備津日子(孝霊天皇7代の皇子)。よって伊那毘能大郎女は孝霊天皇の孫にあたる。
古事記では妹に伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)がいて、同じ景行天皇の妃となっているが、日本書紀では同じ音の「稲日稚郎姫(イナビノワカイラツメ)」は播磨稲日大郎姫の別名とされている。
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その他
綾
日岡陵(兵庫県加古川市加古川町大野)
名前から考える
稲日と日本書紀にあるということは、穀物神の性質のある名前です。また播磨とあるので、播磨の女神だったのだと思われます。播磨が農業生産力のある大国なのも無関係ではないでしょうね。
日岡陵(兵庫県加古川市加古川町大野)
名前から考える
稲日と日本書紀にあるということは、穀物神の性質のある名前です。また播磨とあるので、播磨の女神だったのだと思われます。播磨が農業生産力のある大国なのも無関係ではないでしょうね。
出自と配偶者と子孫
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引用
古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
景行天皇の皇后と皇子2
日本書紀からの引用
景行天皇(二)大碓と小碓の出産
景行天皇の皇后と皇子
景行天皇は吉備臣たちの祖先にあたる若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘の針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)を娶って産んだ子供が
櫛角別王(クシツヌワケ)
大碓命(オオウス)
小碓命(オウス)…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)
の五柱です。
櫛角別王(クシツヌワケ)
大碓命(オオウス)
小碓命(オウス)…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)
の五柱です。
景行天皇の皇后と皇子2
日本書紀からの引用
景行天皇(二)大碓と小碓の出産
景行天皇即位2年春3月3日。
播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ)
ある伝によると稲日稚郎姫(イナビノワキイラツメ)といいます。
郎姫は異羅菟咩(イラツメ)と読みます。
は皇后になりました。
皇后は二人の男の子を産みました。
第一子は大碓皇子(オオウスノミコ)といいます。
第二子は小碓尊(オウスノミコト)といいます。
ある書によると、皇后は三人の男の子を産みました。その第三子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)といいます。
播磨稲日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ)
ある伝によると稲日稚郎姫(イナビノワキイラツメ)といいます。
郎姫は異羅菟咩(イラツメ)と読みます。
は皇后になりました。
皇后は二人の男の子を産みました。
第一子は大碓皇子(オオウスノミコ)といいます。
第二子は小碓尊(オウスノミコト)といいます。
ある書によると、皇后は三人の男の子を産みました。その第三子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)といいます。
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