牟宜都君(ムゲツノキミ)

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牟宜都君

投稿日時:2017-10-21 17:33:41
漢字・読みムゲツノキミ
別名身毛津君
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牟宜都君(ムゲツノキミ)

牟宜都君(ムゲツノキミ)は古事記に登場する人物名。日本書紀では身毛津君(ムゲツキミ)と記述される。景行天皇の皇子である大碓命(=ヤマトタケルの双子の兄)の子孫に当たる。
また、日本書紀の雄略天皇のところでは、吉備を朝廷が攻める口実を得るキッカケ担っていて、また、天武天皇の段の壬申の乱のところで「身毛君広(ムゲツキミヒロ)」という人物の名前が見られる。

ちなみに美濃国の北部は牟義都国造(ムゲツノクニノミヤツコ)が支配している。名前が飛び飛びながら登場しているところを見るに実際に系譜が続いていたのだと思います。
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出自と子孫

古事記によると
大碓命景行天皇の皇子・ヤマトタケルの双子の兄
弟比売…美濃国造の祖先である大根王の娘
押黒之弟日子王…牟宜都君(ムゲツノキミ)などの祖先

日本書紀には「身毛津君」とその先祖の「大碓・弟比売」の記述はあるが、押黒之弟日子王の記述はない。

引用

古事記からの引用
オオウス命の系譜
その大碓命オオウスミコト)が兄比売(エヒメ)を娶って生んだ子が押黒之兄日子王(オシグロノエヒコ)です。
押黒之兄日子王(オシグロノエヒコノミコ)は美濃の宇泥須和気(ウネスワケ)の祖先です。
大碓命が弟比売(オトヒメ)を娶って生んだ子が押黒弟日子王(オシグロノオトヒコ)です。
押黒之弟日子王は牟宜都君(ムゲツノキミ)などの祖先です。


日本書紀からの引用
景行天皇(二十八)大碓皇子を美濃国に封じる
それで遂に大碓皇子を美濃に封じました。大碓皇子はその土地(=美濃)へと行きました。大碓皇子は身毛津君(ムゲツキミ)・守君(モリノキミ)の二つの族の始祖です。

雄略天皇(二十二)吉備下道臣前津屋の反逆
虚空(オオゾラ)を留めて使用人として使いました。月日が経っても京都(ミヤコ=ここでは倭の都)に帰り上らせませんでした。そこで天皇は身毛君大夫(ムケツキミマスラオ)を派遣して呼び寄せました。虚空は呼ばれて来て言いました。

天武天皇(六)美濃で兵を集める・不破道を塞ぐ
(即位元年)6月22日。村国連男依(ムラクニノムラジオヨリ)・和珥部臣君手(ワニベノオミキミテ)・身毛君広(ムゲツキミヒロ)に詔(ミコトノリ)して言いました。
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