若建王(ワカタケルノミコ)

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若建王

投稿日時:2017-12-10 11:27:36
漢字・読みワカタケルノミコ
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若建王(ワカタケルノミコ)

まとめ
ヤマトタケル弟橘比売命(オトタチバナヒメ)の子供。
●古事記ではその子孫が、ヤマトタケルの父親の景行天皇と結婚している。辻褄が合わない。
ヤマトタケルの子供がワカタケルというのはネーミングとしては普通。

物語・由来

若建王(ワカタケルノミコ)は古事記に登場する人物名。父親はヤマトタケル。母親は弟橘比売命(オトタチバナヒメ)。日本書紀では稚武彦王(ワカタケヒコノミコ)と表記される。
皇族。
男性。
記紀の中では特に活躍はないが、古事記の系譜に奇妙なところがある。
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タイムパラドクス

古事記では若建王は
先に述べた若建王(ワカタケル)が飯野真黒比売(イイノマグロヒメ)を娶って、生んだ子供が須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)です。
この王が近江の柴野入杵(シバノイリキ)の娘を娶って産んだ子供が迦具漏比売命(カグロヒメノミコト)です。

と記述されている。若建王の孫が「迦具漏比売命」。この迦具漏比売命がなぜかヤマトタケルの父親の景行天皇の妃となります。そこから後に仲哀天皇の妃となる大中比売命が生まれます。

このタイムパラドックスはよく古事記の信ぴょう性を問題にする時にあげられるんですが、編纂当時としても「おかしい」のは分かっていたはずです(編纂に関わった人物は当時の最高知識人のはずですからね)。もしくは後世の写し間違い。しかし、こうして残す以上は何か意味があったのかも。
●辻褄は合わないが神話としてこう残っていたのだから書いた!ってのが本当かな?とも。
応神天皇の妃にも迦具漏比売が見られ、その子供の中にも忍坂大中比売(オサカノオホナカツヒメ)という大中比売命とよく似た名前がある。
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出自と子孫

古事記によると
ヤマトタケル
弟橘比売命(オトタチバナヒメ)
若建王(ワカタケル)


若建王(ワカタケル)
飯野真黒比売(イイノマグロヒメ)…杙俣長日子王の娘?
須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)

須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)
近江の柴野入杵(シバノイリキ)の娘
迦具漏比売命(カグロヒメノミコト)…景行天皇の妃?応神天皇の妃にも同名が見られる。

日本書紀によると
ヤマトタケル
弟橘媛(オトタチバナヒメ)
稚武彦王(ワカタケヒコノミコ)
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引用

古事記からの引用
ヤマトタケルの子孫・系譜
また海に身を投げてヤマトタケルを救った弟橘比売命(オトタチバナヒメ)を娶って生んだ子が若建王(ワカタケル)です。

迦具漏比売命への系譜
先に述べた若建王(ワカタケル)が飯野真黒比売(イイノマグロヒメ)を娶って、生んだ子供が須売伊呂大中日子王(スメイロオホナカツヒコ)です。
この王が近江の柴野入杵(シバノイリキ)の娘を娶って産んだ子供が迦具漏比売命(カグロヒメノミコト)です。

日本書紀からの引用
景行天皇(四十五)日本武尊の妃と子女
次の妃の穗積氏忍山宿禰(ホヅミノウジノオシヤマノスクネ)の娘の弟橘媛(オトタチバナヒメ)は稚武彦王(ワカタケヒコノミコ)を生みました。
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