稲依別王(イナヨリワケ)

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稲依別王

投稿日時:2017-12-22 12:21:50
漢字・読みイナヨリワケ
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稲依別王(イナヨリワケ)

まとめ
●古事記では父親がヤマトタケル、母親が近江の安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の祖先の意富多牟和気(オオタムワケ)の娘の布多遅比売
日本書紀では父親がヤマトタケル。母親が兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)。
●古事記には母親の布多遅比売とは別に垂仁天皇の皇女の布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメノミコト)がヤマトタケルの妃になっている。
●名前からすれば稲の穀物霊(穀物神)。

物語・由来

稲依別王(イナヨリワケ)は古事記・日本書紀に登場する人物名。
性別は不明。
古事記では父親がヤマトタケル。母親が布多遅比売(フタジヒメ)。
日本書紀では父親がヤマトタケル。母親が兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)。
一見すると両親とも記紀で全く同じに見えるんですが、古事記での母親の布多遅比売の親は「近江の安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の祖先の意富多牟和気(オオタムワケ)」であり、日本書紀の兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)とは違い、ヤマトタケルの妃として古事記には別に「布多遅能伊理毘売命(フタジノイリビメノミコト)」という名前のよく似た妃がいる。

どうも子孫の名前を見ると古事記の「布多遅比売」と「布多遅能伊理毘売命」を一緒にしたものが日本書紀の兩道入姫皇女ではないかと。
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名前から考える

名前は「イナヨリ」は「稲に宿る」という意味で、どう考えても稲の穀物霊(穀物神)。ヤマトタケルが死後に稲の穀物霊(穀物神)の象徴である白鳥となって飛んで行ったことを考えると、とても自然。
ワケという名前は、よく「傍流」という意味の「分家」というか、本流じゃない!って意味で語られるんですが、ワケというのは「血を分ける」つまり傍流という意味と同時に、「若者」という意味があります。ちなみに「若者」というのは血を分けたものというのが本来の意味です。
日本では若いということはとても力のあるものです。ニニギが嬰児でありながら天孫降臨させられたのも「若い=パワーがある」という日本古来の感覚があってこそです。
そう考えると、稲の穀物霊としては非常にオーソドックスな名前ってことになります。
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出自と子孫

古事記によると
ヤマトタケル
布多遅比売(フタジヒメ)…近江の安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の祖先の、意富多牟和気(オオタムワケ)の娘
稲依別王(イナヨリワケ)


日本書紀によると
日本武尊(ヤマトタケルノミコト
兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)
稲依別王(イナヨリワケノミコ)
足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇
布忍入姫命(ヌノシイリビメノミコト)
稚武王(ワカタケノミコ)
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引用

古事記からの引用
ヤマトタケルの子孫・系譜
近江の安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の祖先の、意富多牟和気(オオタムワケ)の娘の布多遅比売(フタジヒメ)を娶って生んだ子が稲依別王(イナヨリワケ)です。


日本書紀からの引用
景行天皇(四十五)日本武尊の妃と子女
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は兩道入姫皇女(フタジノイリビメノヒメミコ=垂仁天皇の皇女)を娶って妃として、稻依別王(イナヨリワケノミコ)を生みました。次に足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト=仲哀天皇)、布忍入姫命(ヌノシイリビメノミコト)、稚武王(ワカタケノミコ)です。
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