杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)

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杙俣長日子王

投稿日時:2018-01-25 14:47:54
漢字・読みクイマタナガヒコ
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概要

まとめ
●父親はヤマトタケルの子の息長田別王。母親は不明。
日本書紀の河派仲彦と同一人物と思われる。
●継体天皇の先祖の若沼毛二俣王の母親は杙俣長日子王の娘の息長真若中比売。つまり、杙俣長日子王は継体天皇の先祖でもある。

物語・由来

杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)は古事記に登場する人物名。親はヤマトタケルの子供の一人の息長田別王。配偶者については記述がない。性別ははっきりしないが一般的には男性とする。日本書紀の河派仲彦(カワマタナカツヒコ)と同一人物ではないかと思われる。

杙俣長日子王の子供が応神天皇の妃となり、その子孫が継体天皇へと繋がっていく。継体天皇は武烈天皇で途絶えたために越国にいたのを連れてきた人物です。その重要なポイントにある人物の名前が「マタ」という別れるという意味を持っているのは不思議な巡り合わせか、意図的なものか。ただ川の流れが別れているところ、木の股を日本では特別視していたので、ネーミングとして恣意的な異常さがあるとは言い切れない。
色々と勘ぐることはできますが。

細かい分はさておいて、仮に継体天皇の正当性を後から補完するために系譜が作られたとしても、応神天皇の血を引いていればそれでよかったでしょう。杙俣長日子王がヤマトタケルの孫である必要はなかったでしょう。この系譜はある程度は事実か、少なくともそういう伝承はあったのではないかと思います。もしくは大事なのは「応神天皇の子孫であること」ではなく、「ヤマトタケルの血を引いている事」だったのかもしれません。
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出自と子孫

古事記によると
ヤマトタケル
ある妻

息長田別王
配偶者不明
杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)

杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)
配偶者不明
飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)
息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)…応神天皇の妃となり若沼毛二俣王(ワカヌケフタマタ)を産む。
弟比売(オトヒメ)=百師木伊呂弁(モモシキイロベ)別名が弟日売真若比売命(オトヒメマワカヒメノミコト)=若沼毛二俣王と結婚し、大郎子(オホイラツコ)別名、意富々杼王(オホホドノミコ=継体天皇の先祖)を産む。


日本書紀によると
河派仲彦(カワマタナカツヒコ)…出自の記述はないが、古事記と合わせると古事記の杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)と同一人物と思われる。
配偶者不明
弟媛(オトヒメ)…応神天皇の妃となり稚野毛二派皇子(ワカノケフタマタノヒコ)を産む。
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引用

古事記からの引用
ヤマトタケルの子孫・系譜
またある夫人が生んだ子が息長田別王(オキナガタワケ)です。

息長田別王の子孫
息長田別王(オキナガタワケ)の子が杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)です。
この杙俣長日子王の子供が、飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)、次に息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)、次に弟比売(オトヒメ)の三柱です。

日本書紀からの引用
応神天皇(二)即位、皇后と妃と子息子女
次の妃として河派仲彦(カワマタナカツヒコ)の娘の弟媛(オトヒメ)が稚野毛二派皇子(ワカノケフタマタノヒコ)を生みました。
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