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息長田別王
投稿日時:2018-01-22 13:09:38漢字・読み | オキナガタワケ |
息長田別王(オキナガタワケ)
物語・由来
息長田別王(オキナガタワケ)は古事記に登場する人物名。父親はヤマトタケル。母親の名前は記述されておらず「一妻の子」としか書かれていない。日本書紀には対応する人物名はない。
息長田別王の子供に杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)がいて、この杙俣長日子王が日本書紀では「河派仲彦(カワマタナカツヒコ)」と同一人物だろうとされる(ただし河派仲彦の出自の記述が日本書紀にはない)。この日本書紀の河派仲彦の子供の「弟比売(弟媛)」は応神天皇の妃となる。
先代旧事本紀によると「阿波君等祖」とされる。
息長田別王の子供に杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)がいて、この杙俣長日子王が日本書紀では「河派仲彦(カワマタナカツヒコ)」と同一人物だろうとされる(ただし河派仲彦の出自の記述が日本書紀にはない)。この日本書紀の河派仲彦の子供の「弟比売(弟媛)」は応神天皇の妃となる。
先代旧事本紀によると「阿波君等祖」とされる。
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出自と子孫
古事記によると
父ヤマトタケル
母ある妻
親息長田別王
配偶者不明
親杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)
配偶者不明
日本書紀によると
親河派仲彦(カワマタナカツヒコ)…出自の記述はないが、古事記と合わせると杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)と同一人物と思われる。
配偶者不明
こうして出自と子孫をまとめてみると、日本書紀の弟媛は古事記の息長真若中比売のことで、息長真若中比売が弟姫と呼ばれるのは、姉の飯野真黒比売がいたから。ちなみに飯野真黒比売はヤマトタケルの息子の一人の若建王と結婚していますが、飯野真黒比売からみると若建王は祖父の兄弟に当たる人物で年齢的に婚姻がありえるのか??? まぁ、不可能じゃないか。
父ヤマトタケル
母ある妻
息長田別王
親息長田別王
配偶者不明
杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)
親杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)
配偶者不明
飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)
息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)…応神天皇の妃となり若沼毛二俣王(ワカヌケフタマタ)を産む。
弟比売(オトヒメ)=百師木伊呂弁(モモシキイロベ)別名が弟日売真若比売命(オトヒメマワカヒメノミコト)=若沼毛二俣王と結婚した。
息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)…応神天皇の妃となり若沼毛二俣王(ワカヌケフタマタ)を産む。
弟比売(オトヒメ)=百師木伊呂弁(モモシキイロベ)別名が弟日売真若比売命(オトヒメマワカヒメノミコト)=若沼毛二俣王と結婚した。
日本書紀によると
親河派仲彦(カワマタナカツヒコ)…出自の記述はないが、古事記と合わせると杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)と同一人物と思われる。
配偶者不明
弟媛(オトヒメ)…応神天皇の妃となり稚野毛二派皇子(ワカノケフタマタノヒコ)を産む。
こうして出自と子孫をまとめてみると、日本書紀の弟媛は古事記の息長真若中比売のことで、息長真若中比売が弟姫と呼ばれるのは、姉の飯野真黒比売がいたから。ちなみに飯野真黒比売はヤマトタケルの息子の一人の若建王と結婚していますが、飯野真黒比売からみると若建王は祖父の兄弟に当たる人物で年齢的に婚姻がありえるのか??? まぁ、不可能じゃないか。
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引用
ヤマトタケルの子孫・系譜
息長田別王の子孫
またある夫人が生んだ子が息長田別王(オキナガタワケ)です。
息長田別王の子孫
息長田別王(オキナガタワケ)の子が杙俣長日子王(クイマタナガヒコ)です。
この杙俣長日子王の子供が、飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)、次に息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)、次に弟比売(オトヒメ)の三柱です。
この杙俣長日子王の子供が、飯野真黒比売命(イイノマグロヒメ)、次に息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)、次に弟比売(オトヒメ)の三柱です。
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