孝徳天皇(二十三)国民の訴えを解決しよう・朝鮮からの使者

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孝徳天皇(二十三)国民の訴えを解決しよう・朝鮮からの使者

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原文

又詔。集在国民、所訴多在。今將解理。諦聽所宣。其欲決疑、入京朝集者、且莫退散、聚侍於朝。

高麗・百濟・任那・新羅、並遣使、貢獻調賦。乙卯、天皇還自子代離宮。

現代語訳

また詔(ミコトノリ)して言いました。
「集まっている国民には、訴えるところは多くある。今、その道理を解こうとしている。はっきりと、民が述べる事を聞くことにする。疑念を持って、それをハッキリさせようと思って、京に入って、参上して集まっているものは、しばらく退散しないで、朝廷に集まっていなさい」

高麗・百済・任那・新羅は一緒に使者を派遣して、調賦(ミツキ)を献上しました。

(即位2年)2月22日。天皇子代離宮(コシロノカリミヤ)から帰りました。
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解説

天皇はやたらと腰が低い。
儒教では

で書いたように、民の訴えを受け入れて解決するのが「聖王」としているようで、当時の大和朝廷が民の問題を解決しようと取り組んでいた、のかもしれません。ま、書いているだけかもしれませんが。
少なくとも「そういうのが立派な王」という思想があったのは確かです。
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