スポンサードリンク
孝徳天皇(四十一)数えた田を民に与えなさい
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
今發遣国司幷彼国造、可以奉聞。去年付於朝集之政者、隨前處分。以收數田、均給於民、勿生彼我。凡給田者、其百姓家、近接於田、必先於近。如此奉宣。凡調賦者、可收男身之調。凡仕丁者、毎五十戸一人。宜觀国々壃堺、或書或圖、持來奉示。国懸之名、來時將定。国々可築堤地、可穿溝所、可墾田間、均給使造。當聞解此所宣。
現代語訳
今、派遣を出発させ、国司とその国造はこれを聞き、受け賜りなさい。昨年、朝廷に集まって行った政治は、前の処分(コトワリ)のままにする。収めて数を数えた田を、等しく民に与えなさい。あっちとこっちで差が無いように等しくするように。すべての田を与えるときは、その百姓の家の近くの田に接することができるなら、必ず近いものを優先しなさい。このように述べたことをしかと受け賜りなさい。すべての調賦(ミツキ=税)は男の身の税として納めなさい。すべての仕丁(ツカエノヨホロ)は50戸ごとに1人。国々の境を見て、書に記すか、図を書くかして、持って来て示しなさい。国県の名前は来た時に定めよう。国々の堤防を築くべき所や、溝(ウナテ)を掘るべき所や、田を開墾するべき間(トコロ)は等しく、与えて作らせなさい。この述べたことを聞き、理解しなさい」
スポンサードリンク
解説
日本の民は公地公民によって天皇のものとなり、土地も天皇のものとなり、民にはその土地が支給されることになりました。その土地をどう分配するかが、ここで述べられています。家の近くの田んぼのようがいいですよね。こう考えると戦後の農地改革に近いですよね。
仕丁
仕丁に関しては以下の大化の改新の詔の部分で同じことが書かれています。
ところでここで述べられていることは、すでに述べたことの追記か、同じことをもう一度述べているだけです。この日本書紀というものが歴史を書く目的ならば、同じことを書いたり、追記するというのは二度手間です。まして「紙」が貴重品な時代。これまでのページに併記すれば十分じゃないかと思います。それをこうやって年次を変えて記述するということは、それなりに意味があったと考えるべきでしょう。
私はこれらの言葉は実際に天皇が述べたコトだと思います。言葉を重んじる日本ではこれらを書かざるを得なかった。そして述べたコトを記述し残すというコトをやっていた、ってことです。
仕丁
仕丁に関しては以下の大化の改新の詔の部分で同じことが書かれています。
ところでここで述べられていることは、すでに述べたことの追記か、同じことをもう一度述べているだけです。この日本書紀というものが歴史を書く目的ならば、同じことを書いたり、追記するというのは二度手間です。まして「紙」が貴重品な時代。これまでのページに併記すれば十分じゃないかと思います。それをこうやって年次を変えて記述するということは、それなりに意味があったと考えるべきでしょう。
私はこれらの言葉は実際に天皇が述べたコトだと思います。言葉を重んじる日本ではこれらを書かざるを得なかった。そして述べたコトを記述し残すというコトをやっていた、ってことです。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
孝徳天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page37 孝徳天皇(三十七)市司と要路の津済の渡子の調賦を止め
- Page38 孝徳天皇(三十八)聖主の天皇は天に則して
- Page39 孝徳天皇(三十九)品部の廃止
- Page40 孝徳天皇(四十)百官を設け、位階を明らかにし、官位を授けましょう
- Page41 孝徳天皇(四十一)数えた田を民に与えなさい
- Page42 孝徳天皇(四十二)高向博士黒麻呂は新羅に人質を献上させる
- Page43 孝徳天皇(四十三)朝廷で射(イクイ)を
- Page44 孝徳天皇(四十四)みだりに前々處々に名前をつけた
- Page45 孝徳天皇(四十五)礼法・職務時間について・比羅夫の水路
スポンサードリンク