持統天皇(七)負債者の利を免除・御青飯という・天武天皇の服で作った袈裟

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持統天皇(七)負債者の利を免除・御青飯という・天武天皇の服で作った袈裟

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原文

六月癸巳朔庚申、赦罪人。秋七月癸亥朔甲子、詔曰「凡負債者、自乙酉年以前物、莫收利也。若既役身者、不得役利。」辛未、賞賜隼人、大隅・阿多魁帥等三百卅七人、各有差。八月壬辰朔丙申、嘗于殯宮、此曰御靑飯也。丁酉、京城耆老男女皆臨慟哭於橋西。己未、天皇、使直大肆藤原朝臣大嶋・直大肆黃書連大伴、請集三百龍象大德等於飛鳥寺、奉施袈裟人別一領。曰、此以天渟中原瀛眞人天皇御服所縫作也。詔詞酸割、不可具陳。

現代語訳

(即位1年)6月28日。罪人を赦しました。

秋7月2日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「すべての負債者(モノノカイオエルモノ)は、乙酉年(キノトノトリノトシ=天武天皇即位14年)より以前の物は、利息を取ってはいけない。もし、すでに(利息の支払いのために)身を労役に使ったならば、利息に労役をさせてはいけない(元本に使えという意味)」
7月9日。隼人の大隅・阿多の魁帥(ヒトゴノカミ=首長)たちは337人に賞(モノ)を与えました。それぞれに品が有りました。

8月5日。殯宮で嘗(ナフライタテマツル=神に収穫物を奉納する祭り=日本では会食をする)しました。これを御青飯(アオキオモノ)と言います。
8月6日。京城(ミヤコ)の耆老男女(オキナヒトオノコメノコ=老若男女)は皆、臨み見て、橋の西で慟哭(ミネタテマツル=泣いて悲しむ儀式)をしました。
8月28日。天皇は、直大肆の藤原朝臣大嶋(フジワラノアソミオオシマ)・直大肆の黄書連大伴(キフミノムラジオオトモ)に、300人の龍象(オゴシキ=龍や象のようにすごい力のある)の大徳(ホウシ=僧)たちを飛鳥寺に請願して集めて、袈裟(ケサ)を贈り奉りました。独り言に一つ。そして言いました。
「これは天渟中原瀛真人天皇(アマノヌナハラオキノマヒトノスメラミコト=天武天皇)の御服(オオミソ)で、縫って作ったものです」
詔(ミコトノリ)の詞(コトバ)は哀しくて痛々しいものでした。悲しみのあまり、詳細には陳述できませんでした。
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解説

御青飯
アオキモノという訳本と「ヒジキ」という訳本があります。どっちにしても「食べるもの」なんですよね。じゃあ殯宮でご飯を食べるってことなのか?と。殯宮は、死体を仮に安置して、白骨化するまで待つ場所です。しかもこのページでは8月。殯宮でご飯を食べるなんてあったでしょうか?
単に料理をお供えしたくらいのことじゃないかと思います。

ただ、日本ではお供えしたものは、神と共に一緒に食べるのが通例です。
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