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持統天皇(三)大津皇子の謀反の後処理・礪杵道作を伊豆に流す
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丙申詔曰、皇子大津謀反、詿誤吏民帳內不得已、今皇子大津已滅、從者當坐皇子大津者皆赦之、但礪杵道作流伊豆。又詔曰、新羅沙門行心、與皇子大津謀反、朕不忍加法、徙飛騨国伽藍。
現代語訳
10月29日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「皇子大津(=大津皇子)は謀反しようとした。欺かれた吏民(ツカサヒト=役人)や帳内(トネリ=従者)は止むを得ない。今、皇子大津はすでに滅した。従者で皇子大津と関わっているものは、皆、赦せ。ただし礪杵道作(トチノミチツクリ)は伊豆に流せ」
また、詔して言いました。
「新羅の沙門(ホウシ=僧)の行心(コウジン)は皇子大津の謀反に関与したけども、朕(ワレ)は罪を加えることは忍びない。飛騨国の伽藍(テラ)に移せ」
「皇子大津(=大津皇子)は謀反しようとした。欺かれた吏民(ツカサヒト=役人)や帳内(トネリ=従者)は止むを得ない。今、皇子大津はすでに滅した。従者で皇子大津と関わっているものは、皆、赦せ。ただし礪杵道作(トチノミチツクリ)は伊豆に流せ」
また、詔して言いました。
「新羅の沙門(ホウシ=僧)の行心(コウジン)は皇子大津の謀反に関与したけども、朕(ワレ)は罪を加えることは忍びない。飛騨国の伽藍(テラ)に移せ」
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解説
礪杵道作
礪杵道作だけが特別に伊豆に流されたってことは、相当な重要人物だったハズなんですが、他に記述がない。
礪杵道作だけが特別に伊豆に流されたってことは、相当な重要人物だったハズなんですが、他に記述がない。
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持統天皇(日本書紀30巻)の表紙へ
- Page1 持統天皇(一)出自と即位の経緯
- Page2 持統天皇(二)臨朝称制・大津皇子の謀反と死、その人物像
- Page3 持統天皇(三)大津皇子の謀反の後処理・礪杵道作を伊豆に流す
- Page4 持統天皇(四)大来皇女の帰京・無遮大会を5つの寺で設ける
- Page5 持統天皇(五)殯宮の慟哭・京師の80歳上と篤癃と貧しいものに施し
- Page6 持統天皇(六)丹比真人麻呂の誄・隼人の大隈と阿多の魁帥の誄
- Page7 持統天皇(七)負債者の利を免除・御青飯という・天武天皇の服で作った袈裟
- Page8 持統天皇(八)喪服を着て東に向いて3回拝んで3回発哭
- Page9 持統天皇(九)国忌の日に必ず斎すべし
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