持統天皇(四)大来皇女の帰京・無遮大会を5つの寺で設ける

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持統天皇(四)大来皇女の帰京・無遮大会を5つの寺で設ける

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原文

十一月丁酉朔壬子、奉伊勢神祠皇女大來、還至京師。癸丑、地震。十二月丁卯朔乙酉、奉爲天渟中原瀛眞人天皇、設無遮大會於五寺大官・飛鳥・川原・小墾田豊浦・坂田。壬辰、賜京師孤獨高年布帛各有差。潤十二月、筑紫大宰、獻三国高麗・百濟・新羅百姓男女幷僧尼六十二人。是歲、蛇犬相交、俄而倶死。

現代語訳

11月16日。伊勢神祠(イセノカミノマツリ=伊勢神宮)に仕えている皇女大来(ヒメミコオオク=大来皇女)は帰って京師(ミヤコ)に至りました。
11月17日。地震がありました。

12月19日。天渟中原瀛真人天皇(アマノヌナハラオキノマヒトノスメラミコト=天武天皇)のために、無遮大会(オカギリナキオガミ=国王が施主となり全ての人が供養布施をする法会)を五つの寺、大官(=大官大寺)・飛鳥(=飛鳥寺)・川原(=川原寺)・小墾田豊浦(=向原寺)・坂田(=坂田寺)で設けました。
12月26日。京師(ミヤコ)の孤独高年(ヒトリヒトトシタカキ=身寄りのない高齢者)に布帛(ヌノキヌ)を与え、それぞれに品がありました。
閏12月。筑紫大宰(ツクシノオオミコトモチ)は三つの国…高麗・百済・新羅の百姓の男女、合わせて僧尼62人を献上しました。この年、蛇と犬が交わって、共に死にました。
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解説

大来皇女
大来皇女は天武天皇の娘。伊勢神宮に斎宮として仕えていたようですが、ここで京に帰っています。
ちなみに大来皇女は持統天皇の姉(大田皇女)の子であり、つまり持統天皇からすれば姪っ子です。しかし、謀反の疑いをかけられて死んでしまった大津皇子も、大田皇女の子で甥っ子です。

このところはどう捉えればいいのやら。
大津皇子が謀反を企てて死んだ、つまり大津皇子は罪に穢れた存在だから、その姉である大来皇女は清らかな伊勢に仕える資格がない!となって、伊勢から追い出されたのか。

それとも大津皇子が死に追いやられた。殺したのは持統天皇と草壁皇子のようなもの。大津皇子の無念と祟りを和らげるために、伊勢神宮から大来皇女を呼び戻した…のか?
サァ、どうなんでしょうかね。
蛇と犬
これは何かの「兆し」なんでしょう。素直に考えると「凶兆」ですね。
ところで蛇と犬が交わるというのは、「出会って喧嘩した」という意味なのか「性交した」という意味なのか?
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