持統天皇(六)丹比真人麻呂の誄・隼人の大隈と阿多の魁帥の誄

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持統天皇(六)丹比真人麻呂の誄・隼人の大隈と阿多の魁帥の誄

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原文

三月乙丑朔己卯、以投化高麗五十六人、居于常陸国、賦田受稟、使安生業。甲申、以花縵、進于殯宮、此曰御蔭。是日、丹比眞人麻呂誄之、禮也。丙戌、以投化新羅人十四人、居于下毛野国、賦田受稟、使安生業。夏四月甲午朔癸卯、筑紫大宰獻投化新羅僧尼及百姓男女廿二人、居于武藏国、賦田受稟、使安生業。五月甲子朔乙酉、皇太子率公卿百寮人等、適殯宮而慟哭焉。於是、隼人大隈阿多魁帥、各領己衆、互進誄焉。

現代語訳

(即位1年)3月15日。投化(オノズカラニマウオモブ=自分から帰化した)した高麗人56人を常陸国に居らせました。田を与え、稟(カテ=種子)を授けて、生業(ナリワイ)にさせました。
3月20日。花縵(ハナカズラ=仏前を飾る金属の花とツタか、生花の花とツタか)を殯宮に献上しました。これを御陰(ミカゲ)と言います。この日に丹比真人麻呂(タジヒノマヒトマロ)が誄(シノビゴトタテマツル)しました。これは礼に合っています。
3月22日。投化した新羅人14人を、下毛野国に居らせました。田を与え、稟を授けて、生業にさせました。

夏4月10日。筑紫大宰(ツクシノオオミコトモチ)は投化した新羅の僧尼と百姓の男女22人を献上しました。武蔵国に居らせました。田を与え、稟を授けて、生業にさせました。

5月22日。皇太子は公卿(マヘツキミ=臣下)と百寮(ツカサツカサ=役人)たちを率いて、殯宮に参りでて慟哭(ミネタテマツル=泣いて悲しむ儀式)をしました。隼人の大隈・阿多の魁帥(ヒトゴノカミ=首長)はそれぞれの自分の衆(トモガラ=仲間)を率いて、互いに進み、誄しました。
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解説

投化
帰化を意味する言葉なのですが、帰化を意味する日本書紀内での言葉には「化来」「帰化」もあります。私は表現の違いは「引用した元ネタ」のちがいなんじゃないか?と思っています。
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