ウジノワキイラツコの策

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ウジノワキイラツコの策

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原文

かれ、聞き驚かして、兵を河の辺に伏せ、またその山の上に絁垣(キヌガキ)を張り帷幕(アゲハリ)を立てて、詐りて舎人を王になして、露(アラ)はに呉床(アグラ)に坐せ、百官(モモノツカサ)恭敬(ヰヤマ)ひ往き来する状、既に王子の坐す所の如くして、さらにその兄王の河を渡らむ時のために、船・戢(カヂ)を具へ餝(カザ)り、さな葛の根を舂き、その汁の滑を取りて、その船の中の簀椅(スバシ)に塗り、踏まば仆(タフ)るべく設けて、その王子は布の衣褌(キヌハカマ)を服して、既に賎しき人の形(スガタ)になりて、戢を執りて船に立ちたまひき。
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現代文訳

それを聞いて驚いたウジノワキイラツコは、兵士を宇治川の近くに潜ませ、宇治の山の上に絹の幕を張って、そこに舎人を皇子に見せかけて、目立つように座らせました。

それで部下達がその皇子に見せかけた舎人の前を恭(うやうや)しく歩かせると、まるきり皇子が居るように見えました。

それでオオヤマモリ命が皮を渡ろうとするときに、船を用意しておいて、サネカズラ(=植物名)の根を汁を船底のスノコに縫っておきました。このスノコを踏めば滑って転んで倒れるようにしておきました。

ウジノワキイラツコは皇子の服ではなく、下賎な服を着て、舵を取って船に立っていました。
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解説

やたらと細かい。ウジノワキイラツコはなかなか策士。オオサザキ命(仁徳天皇)に皇位を譲るとはいえ、十分な資格があるように見える。

そういえば日本の英雄は大体、策士。神武天皇ヤマトタケルのクマソ征伐・出雲征伐。
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