大山守命の反逆

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大山守命の反逆

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原文

かれ、天皇崩りましし後、大雀命(オホサザキノミコト)は天皇の命に従ひて、天下を宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)に譲りたまひき。ここに大山守命(オホヤマモリノミコト)は、天皇の命に違ひてなほ天下を獲と欲ひて、その弟皇子を殺さむの情ありて、窃かに兵を設けて攻めむとしき。ここに大雀命(オホサザキノミコト)、その兄の兵を備ふることを聞かして、即ち使者を遣はして、宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)に告げしめたまひき。

現代文訳

応神天皇が亡くなって、大雀命(オオサザキ=仁徳天皇)は応神天皇の遺言に従って、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)に皇位を譲ろうとしました。

ところが、大山守命(オオヤマモリ)は応神天皇の遺言に背いて、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)を殺して、皇位を得ようと考えました。

そして大山守命(オオヤマモリ)は隠れて軍を起こし、攻めようとしました。

そこでオオサザキ命は兄オオヤマモリが軍を整備していると聞いて、使者を宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)に送って知らせました。
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解説

オオサザキ(仁徳天皇)は応神天皇の遺言のままに、皇位を腹違いの弟に譲ろうとします。しかしそれを兄の大山守命(オオヤマモリ)が我慢できず、軍を起こします。

最終的には大山守命(オオヤマモリ)は死に、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)が勝ちますが、宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)は仁徳天皇に皇位を譲ります。日本書紀では皇位を譲るために自殺します。

儒教の影響と古来の思想の狭間
日本人は末子相続でした。しかし応神天皇の時代に百済を通じて中国の思想に触れ、その中で「長子相続」と、人徳が国を治める「徳治主義」を知ります。多分ね。
そこで末子相続をやめ、長子相続へ移行し、なおかつ徳治主義の味付けをしだした。これが応神天皇から仁徳天皇に皇位が移る祭の揉め事に出ているのではないか、と思います。史実ではなくフィクションだ、という意味ではありません。描き方がそうだ、という意味です。

仁徳天皇が竈(かまど)の煙を見て税金をしばらく取らなくなったという逸話も、徳治主義の結果ではないかな、と。
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