金蛙の出生(三国史記・高句麗本紀)

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金蛙の出生(三国史記・高句麗本紀)

漢字・読みキンアノシュッセイ
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原文

始祖東明聖王、姓高氏、諱朱蒙(一云鄒牟、一云衆解)。先是扶餘王解夫婁老無子、祭山川求嗣。其所御馬至鯤淵、見大石、相對流涙、王怪之、使人轉其石。有小兒、金色蛙形(蛙、一作蝸)。王喜曰、此乃天賚我令胤乎。乃收而養之、名曰金蛙。及其長、立爲太子。

現代語訳

三国史記・高句麗本紀
高麗の始祖は東明聖王です。
姓は高。諱(イミナ)は朱蒙(シュモウ・チュモン)といいます。
もしくは鄒牟、もしくは衆解と言います。

昔々のことです。。
扶余の王の解夫婁(カイフル)には年を取ってもまだ子供がいませんでした。そこで山や河の神を祀り、子を求めました。
ある日のこと、馬が鯤淵(コンエン=地名)に行くと、馬が大きな石を見て泣きはじめました。王は奇妙に思い、部下を使ってその石を動かすと、子供がいました。その子供は金色のカエルの形をしていました(蛙は蝸とも書きます)。
王は喜んで言いました。
「天より授けられた子胤(コダネ)だ!」
その子に金蛙(キンア)と名付けました。
金蛙は成長して太子(=王子)になりました。
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解説

中国では蛙のは月に住むもので、蛙が月を食べるから月は満ち欠けするのだと考えられていました。また中国の遺跡からは金で出来た蛙の遺物が出て来るので、「金」「蛙」はかなり縁起のいい物という感覚があったようです。高句麗は中国と接していますし、強い文化の影響を受けたのは当然でしょう。
儒教の影響
さて金蛙王は扶余の王が拾った子とされます。
次に金蛙王は奇妙な経緯で朱蒙を拾います。
つまり三代の王は全て、血族ではないということです。
これは儒教の影響です。
中国の古代の王は自分の子供ではなく「徳のある立派な」部下に次の王を譲っています。これらの王を、儒教の…というか孔子は特別視しています。まぁ、子孫に王を譲らないのが「トレンド」だったわけです。そういう客観的な判断をするのが立派な人間ってものですよ、それがカッコいいよね、と思っていたわけです。
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