扶余の遷都(三国史記・高句麗本紀)

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扶余の遷都(三国史記・高句麗本紀)

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原文

後其相阿蘭弗曰、日者天降我曰「將使吾子孫立国於此、汝其避之、東海之濱有地、號曰迦葉原。土壤膏腴宜五穀、可都也」阿蘭弗遂勸王。移都於彼、国號東扶餘。
其舊都有人、不知所從來、自稱天帝子解慕漱、來都焉。

現代語訳

三国史記・高句麗本紀
金蛙の出生(三国史記・高句麗本紀)の続き
ある日、宰相の阿蘭弗(アラフツ)が言いました。
「日天の者が私の体に降りて来て言うのです。
『いずれ、この土地(扶余)は私(日天の者)の子孫に治めさせる。
だからお前はこの土地から出て行け。
東の海の浜に土地がある。
土地の名前は迦葉原(カハバル)と言う。
土壌は豊で、五穀が実る土地だ。
都にできるだろう』
…と」
阿蘭弗(アラフツ)は王に遷都を進めました。
それで都はその土地へと移動しました。
国名を東扶余と変えました。
古い都は、何処から来たのか分からないが、自称「天帝の子」と名乗る解慕漱(カイボソ)がやって来て、都としてしまいました。
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解説

朱蒙の話のはずなのに、まだ朱蒙は出て来ませんが、まぁそれは置いておいて。

扶余は夢のお告げで、住んでいる所を追い出されます。しかも移動した年にも「天帝の子」と自称する解慕漱(カイボソ)なる人物がすでに居るのです。しかも、この人物はとんでもない事をします。それは次のページに譲る事にします。

国譲り
日本では出雲が天津神に国を譲る様子が描かれています。扶余の国替えも多少似たところがあります。でも、日本の国ゆずりと違って、土地を変えて「扶余」という国自体は維持します。

まー常識で考えて、扶余は他国に圧迫されて逃げた、もしくは侵略を受けて敗北し「冊封」を受けたと、考えた方がいいのではないでしょうか?
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