朱蒙の成長(三国史記・高句麗本紀)

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朱蒙の成長(三国史記・高句麗本紀)

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原文

骨表英奇。年甫七歳、嶷然異常。自作弓矢射之、百發百中。扶餘俗語、善射爲朱蒙、故以名云。金蛙有七子、常與朱蒙遊戯、其伎能皆不及朱蒙。
其長子帶素言於王曰「朱蒙非人所生、其爲人也、若不早圖、恐有後患、請除之」王不聽。使之養馬。朱蒙知其駿者、而減食令痩、駑者善養令肥。王以肥者自乘、痩者給朱蒙。後獵于野、以朱蒙善射。與其矢少、而朱蒙殪獸甚多。

現代語訳

三国史記・高句麗本紀
天帝の子の解慕漱(カイボソ)と河伯の娘(三国史記・高句麗本紀)
その男の子は見た目も麗しく、頭も良かった。
7歳ですでに常人とは違っていました。
弓矢を自分で作って、百発百中。
扶余では弓の名手を「朱蒙」と呼ぶ事から、朱蒙が名前になりました。
金蛙王には7人の子供がいたのですが、いつも朱蒙と遊んでいました。
金蛙王の子供たちは朱蒙に技能で及びませんでした。

金蛙王の長男の帶素は言いました。
「朱蒙は人では無いものが、人になったものです。
はやくこの芽を摘み取らなくては、後々に問題を起こすでしょう。
朱蒙を取り除くべきです(=殺害すべきです)」
しかし、金蛙王は聞き入れませんでした。

金蛙王は朱蒙に馬の世話をさせました。
朱蒙は「速く走る馬=駿馬」は食料を減らし、体を絞って作ると知っていました。また、労働する馬は体力を付ける為にしっかりと食料を与えて太らすものだと知っていました。そうして駿馬と労働馬を育てました。
金蛙王は太ったガッチリした労働馬に自ら選んで乗り、痩せた馬を朱蒙に与えました。狩りに行くと朱蒙は射撃の名手ですし、駿馬に乗っているので、少ない矢で大量の獲物を捕らえました。
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解説

朱蒙は金蛙王の子か? それとも…
朱蒙は金蛙王の子供たちと一緒に遊んでいます。この文面を読むと「実際は金蛙王の子供だった」と考えた方が良い、気もします。愛人の子供で、王子にカウント出来なかったのかもしれません。「天帝の子の解慕漱(カイボソ)と河伯の娘(三国史記・高句麗本紀) 」では朱蒙は解慕漱(カイボソ)の子じゃないの?と書いたように、このあたりは曖昧です。

朱蒙の母の柳花は解慕漱(カイボソ)と金蛙王の愛人だったのかもしれないな、とも。それで時期が被っていて種が分からない、とか。まぁいろいろと推測が出来るのでこのくらいに。
騎馬と弓の知識
扶余は北朝鮮の更に北の中国東北部で馬と弓は大事な技術だったよう。
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