麻衣・衲衣・水藻衣(三国史記・高句麗本紀)

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麻衣・衲衣・水藻衣(三国史記・高句麗本紀)

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原文

朱蒙行至毛屯谷(魏書云、至普述水)遇三人、其一人着麻衣、一人着衲衣、一人着水藻衣。朱蒙問曰「子等何許人也。何姓何名乎」麻衣者曰「名再思」、衲衣者曰「名武骨」、水藻衣者曰「名默居」、而不言姓。朱蒙賜再思姓克氏、武骨仲室氏、默居少室氏、乃告於衆曰「我方承景命、欲啓元基、而適遇此三賢。豈非天賜乎」遂揆其能、各任以事、與之倶至卒本川(魏書云 至紇升骨城)。

現代語訳

三国史記・高句麗本紀
河に魚やスッポンが浮き上がって橋に(三国史記・高句麗本紀)

朱蒙は毛屯谷(中国の魏の本によると普述水という地名)に到着しました。
そこで三人の人物に会いました。
一人は麻衣を着ていました。
一人は衲衣を着ていました(=仏教の僧侶のこと)。
一人は水藻衣を着ていました(=道教の修験者のこと)。

朱蒙は問いました。
「先生はどこから来られましたか?
姓はなんといいますか? 名はなんといいますか?」

麻衣の人物は「名を再思といいます」と答えました。
衲衣の人物は「名を武骨といいます」と答えました。
水藻衣の人物は「名を默居といいます」と答えました。
姓は答えませんでした。

朱蒙は「再思」と名乗った人物に「克」という氏姓を与えました。
「武骨」と名乗った人物に「仲室」という氏姓を与えました。
「默居」と名乗った人物に「少室」という氏姓を与えました。

朱蒙は皆に言いました。
「わたしは景命(=天命)を受けた。
国の礎を築こうと思っていた。
するとこの三賢者に出会う事が出来た!
これが天の思し召しでなければ何だと言うのか!」

朱蒙は彼らの才能を理解し、それぞれに仕事を任せました。
そして卒本川(中国の魏の本でいうところの紇升骨城)に到着しました。
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解説

麻衣は儒教だろうね
ネットで探っても見当たらないけど、麻衣は「儒者」のことでしょう。そして最初に「麻衣」を挙げているということは儒教を重んじたのでしょう。高句麗は儒教の国だったのではないかと。
二番目に仏教。三番目に道教を挙げています。
再思、武骨、默居
三人は賢者なのですから、何か人生に大事な教訓を意味しているのでしょう。それがこれらの「衣(=儒教・仏教・道教)」と関係しているはずです。「見ざる・言わざる・聞かざる」とか「司法・立法・行政」とか、そういうニュアンスの。だけど、今の所はこの関係を推測する事すら、知識不足で出来ません。またいずれ。
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