屋主忍男武雄心命と武内宿禰の出生

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景行天皇(三)屋主忍男武雄心命と武内宿禰の出生

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現代語訳

即位3年春2月1日。
紀伊国に景行天皇は行きました。諸々の神祇(アマツヤシロクニツヤシロ)を祀ろうと占うと良くないとでました。すぐに車駕(ミユキ=行幸のこと=天皇が各地を巡ること)を止めました。
屋主忍男武雄心命(ヤヌシオシオタケオゴコロノミコト
ある伝によると武猪心(タケイココロ)といいます。

を派遣して祀らせました。

屋主忍男武雄心命(ヤヌシオシオタケオゴコロノミコト)は詣でて阿備柏原(アビノカシハラ=地名)に住んで、神祇を祀りました。それでそこに9年ほど住みました。そのうち屋主忍男武雄心命は、紀直(キノアタイ)の遠い祖先の菟道彦(ウジヒコ)の娘の影媛(カゲヒメ)を娶って、武内宿禰(タケノウチノスクネ)が生まれました。
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解説

天皇の行幸
どうも天皇はあちこちの土地に出向きます。これを「行幸」と言って、このとき天皇が移動することを「幸(イデマス)」という文字で表現します。

国見(クニミ)というのもセットになっています。山などに登って国を見下ろすことです。こういうことを考えても、天皇は代々「穀物神」であり、天皇が訪れた土地は「豊かに実る」という「実利(=幸せ)」があった(と考えていた)のではないかと思います。

ただ、そういう考えがあったのがいつからなのか?というと微妙なんですよね。というのも天皇はどうも「祀る」側なんです。祀られる側じゃない。明らかに祀られる側になったのはかなり後です。だから景行天皇の記述が、どこまで当時の感覚で書かれているのかはよく考える必要があるんじゃないか?という意見です。
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原文

三年春二月庚寅朔、卜幸于紀伊国將祭祀群神祇、而不吉、乃車駕止之。遣屋主忍男武雄心命一云武猪心、令祭。爰屋主忍男武雄心命、詣之居于阿備柏原而祭祀神祇、仍住九年、則娶紀直遠祖菟道彦之女影媛、生武內宿禰。
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