応神天皇(二十五)崩御と阿知使主の帰国

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応神天皇(二十五)崩御と阿知使主の帰国

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原文

卌一年春二月甲午朔戊申、天皇崩于明宮、時年一百一十歲。一云、崩于大隅宮。是月、阿知使主等自吳至筑紫、時胸形大神有乞工女等、故以兄媛奉於胸形大神、是則今在筑紫国御使君之祖也。既而率其三婦女、以至津国及于武庫而天皇崩之、不及。卽獻于大鷦鷯尊、是女人等之後、今吳衣縫・蚊屋衣縫是也。

現代語訳

即位41年春2月の15日。天皇は明宮(アキラノミヤ=大和国高市郡久米郷=現在の奈良県橿原市大軽町)で崩御しました。その時年齢は110歳でした。
ある伝によると大隈宮(オオスミノミヤ=難波の宮)で崩御したといいます。

この月、阿知使主(アチノオミ)たちが呉から筑紫に至りました。その時に宗形大神(ムナカタノオオカミ)が工女(ヌイメ)たちを乞いました。それで兄媛(エヒメ)を胸形大神に奉りました。これは現在筑紫国にいる御使君(ミツカイノキミ)の祖先です。三人の婦女を率いて津国(ツノクニ)へと到着し、武庫(ムコ)に至り、天皇は崩御しました。その死に間に合いませんでした。それで大鷦鷯尊(オオサザキノミコト=仁徳天皇)に献上しました。この女人(オミナ)たちは今の呉衣縫(クレノキヌヌイ)・蚊屋衣縫(カヤノキヌヌイ)です。
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解説

難波の大隈宮は「応神天皇(十五)兄媛は父母を思い嘆く」でも登場しています。妃の兄媛が父母を慕って泣く話です。

応神天皇が亡くなるのですが、その死に阿知使主(アチノオミ)たちの帰国が間に合いませんでした。阿知使主(アチノオミ)は中国の「呉」へと派遣した使者で、高句麗で道に迷ったから高句麗に道案内してもらって呉へと行った人です。彼が「応神天皇(二十一)阿知使主・都加使主を呉へと派遣して縫工女を求める」で「兄媛(エヒメ)・弟媛(オトヒメ)・吳織(クレハトリ)・穴織(アナハトリ)」の四人の技術者を連れてくることになり、そのうちの「兄媛」を宗形大神に献上したというお話です。

ちなみに宗形大神というのは、宗形三女神で有名な宗像神社の神様ですが、ようは宗形大神を奉じる氏族である「宗形氏」に女工が引き渡されたということでしょう。

宗形氏は九州北部の海人族で、海流の流れを理解していました。だから朝鮮と日本を結ぶ貿易には一枚噛んでいた筈です。呉との通商にも当然、関わっていた。そういうことでしょう。
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