黒彦皇子と眉輪王は円大臣の家に逃げ込む

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雄略天皇(三)黒彦皇子と眉輪王は円大臣の家に逃げ込む

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現代語訳

すぐに眉輪王(マヨワノオオキミ)をも殺してしまおうと思ったので、その(安康天皇暗殺の)経緯を問い、罪を調べました。眉輪王は言いました。
「わたしめは、もとより天皇の位を求めてはいません。ただ、父の仇を討ちたかったのです」
坂合黒彦皇子(サカアイノクロヒコノミコ=雄略天皇の兄弟)は雄略天皇に深く疑われるのを恐れて、密かに眉輪王に事情(雄略天皇はもう理屈が通じないこと)を語りました。それで黒彦皇子と眉輪王はともに人の見ていない間に、宮殿を出て円大臣(ツブラノオオオミ)の家に逃げ込みました。雄略天皇は使いを出しました。大臣は使いを返して返答しました。
「臣下に何か事件があったときに王室(キミノミヤ)に逃げ入った、という話は聞いたことがあります。しかし、君王(キミ)が臣下の家に隠れるなどという話は聞いたことがありません。今、坂合黒彦皇子と眉輪王は臣下であるわたしめを頼って、わたしめの家に来たのです。どうして黙って、引き渡すなどということが出来ましょうか」
それで天皇はさらに兵を興し、大臣の家を囲みました。大臣は庭に出て立ち、脚帯(アユイ=脚の裾を結ぶ紐のこと)を探していました。大臣の妻が脚帯(アユイ)を持って来て、悲しみ傷ついて歌を歌いました。
臣の子は 楮(コウゾ)の袴(ハカマ)を 七重(ナナエ)着(オ)し 庭に立たして 脚帶(アヨイ)なだすも
歌の訳臣の子は楮(コウゾ=植物から出来た白い布)の袴を七重にして着て、脚のすそを撫でているよ

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解説

眉輪王の理屈は正しい
親の仇を討つ。これは正しい理屈です。日本は当時「儒教」を新しい政治の手法として取り入れていました。儒教では父は大事なもので、父の仇を取ることは、他者では邪魔できないほど正しいです。

また、幼い眉輪王が逃げ込んだ円大臣の言う「君主を守る」という理屈も儒教ではとても正しい理屈です。つまり雄略天皇はそこいらへんの「正しい」を全部蹴っ飛ばして、次の天皇に就いたという言い方も出来ます。別の言い方をすれば、のちの「儒教的」歴史編纂の中で、都合の悪いものを全部、雄略天皇は押し付けられた…ということでもあります。
結婚儀礼
古事記では雄略天皇が都夫良意美(=円大臣)の家に行き、「俺の嫁をよこせ!」と言って、都夫良意美の娘の訶良比売(カラヒメ)を妻に迎えます。その上で、雄略天皇と都夫良意美&目弱王(=眉輪王)の戦争が始まるのですね。日本書紀も次のページに「韓媛を差し出す」という過程が登場します。

どうも、これは当時の結婚儀礼だったのではないか?と。無論、雄略天皇と眉輪王の戦いが「嘘」という意味ではなく、史実を描くときにその脚色に「結婚綺麗」が織り込まれたという意味です。

だからこのページの歌もそういう結婚儀礼の歌だったのだろうと思います。楮の袴というのは白いわけで、白い服を着るということが「戦争前の死の覚悟」という説明をする人もいるんですが、いや、これは単に男女が出会う前の様子を歌った艶やかな歌ではないかと思うのですね。
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原文

乃復幷爲欲殺眉輪王、案劾所由、眉輪王曰「臣元不求天位、唯報父仇而已。」坂合黑彦皇子、深恐所疑、竊語眉輪王、遂共得間而出逃入圓大臣宅。天皇使々乞之、大臣以使報曰「蓋聞人臣有事逃入王室、未見君王隱匿臣舍。方今、坂合黑彦皇子與眉輪王、深恃臣心、來臣之舍、詎忍送歟。」由是天皇、復益興兵、圍大臣宅。大臣出立於庭索脚帶、時大臣妻、持來脚帶、愴矣傷懷而歌曰、
飫瀰能古簸 多倍能波伽摩鳴 那々陛鳴絁 爾播爾陀々始諦 阿遙比那陀須暮
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