葛城山で狡獵で猪に追われ舎人は榛の樹に登る

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雄略天皇(十七)葛城山で狡獵で猪に追われ舎人は榛の樹に登る

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原文

五年春二月、天皇、狡獵于葛城山、靈鳥忽來、其大如雀、尾長曳地而且嗚曰、努力々々。俄而、見逐嗔猪、從草中暴出、逐人。獵徒、緣樹大懼、天皇詔舍人曰「猛獸、逢人則止。宜逆射而且刺。」舍人、性懦弱、緣樹失色、五情無主。嗔猪直來、欲噬天皇、天皇用弓刺止、舉脚踏殺。於是田罷、欲斬舍人、舍人臨刑而作歌曰、
野須瀰斯志 倭我飫裒枳瀰能 阿蘇麼斯志 斯斯能 宇拕枳舸斯固瀰 倭我尼㝵能裒利志 阿理嗚能宇倍能 婆利我曳陀 阿西嗚
皇后聞悲、興感止之、詔曰「皇后、不與天皇而顧舍人。」對曰「国人皆謂、陛下安野而好獸、無乃不可乎。今陛下、以嗔猪故而斬舍人、陛下譬無異於豺狼也。」天皇、乃與皇后上車歸、呼萬歲曰「樂哉、人皆獵禽獸。朕獵得善言而歸。」
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現代語訳

即位5年春2月。天皇は葛城山で狡獵(カリ)をしました。そこで霊(アヤ)しい鳥がたちまちやって来ました。その大きさは雀(スズメ)くらい。尾が長くて地面に引きずっていました。その上で、鳴いて
「努力努力(ユメユメ=油断してはいけない)」
と言いました。
突然、追われた怒った猪が草の中から暴れて飛び出して人を追いました。猟徒(カリビト)は木に登ってとても恐れました。天皇は舎人(トネリ=従者)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「猛々しい獣も人に会ってしまえば止まって大人しくなるものっだ。逆に射て倒し、剣で刺し殺してしまえ」
舎人はその性格が意気地がなくて弱かったので、樹に登って顔色を悪くして、五情(ココロ=喜怒哀楽と愛で五情)を無くしてしまいました。怒った猪はまっすぐに天皇に向かって、天皇を食べようとしました。天皇は弓を持って、それを刺し止めて、足を振り上げて、踏み殺しました。それで田(カリ)をやめて、舎人を斬り殺そうとしました。舎人は処刑されるときに歌を作って読みました。
やすみすし 我が大君の 遊ばしし 猪の うたき畏み 我が逃げ登りし あり丘(オ)の 榛(ハリ)が枝(エダ) 吾兄(アセ)を
歌の訳(やすみすしは大君の枕詞)私の大君が追い立てたさせた猪が唸り鳴き迫って来て、あまりに強くて、逃げて樹に登った。あの丘の上の榛の樹の枝。あぁ……

皇后はこの歌を聞いて、悲しんで感極まって天皇を止めました。すると天皇は詔して言いました。
「皇后は天皇である私ではなく、舎人を心配しているのか」
答えて言いました。
「国人(クニヒト=国民)は皆、陛下のことを安野(カリ)をして獣を好むと言っています。これで良いのでしょうか? 今、陛下は怒った猪を理由にして舎人を斬り殺してしまえば、陛下は例えるならば豺狼(オオカミ)と変わりはありません」
天皇は皇后とともに車に上がって帰りました。
「万歳(ヨロズヨ)」
と大きな声をあげて言いました。
「楽しいなぁ。
人は皆、禽獸(トリシシ)を狩る。朕(ワレ)は猟りをして善い言葉を得て帰るなぁ」
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解説

古事記との違い
古事記では歌の内容は「舎人目線」なのですが、あくまで歌ったのは「天皇」ということになっています。よって雄略天皇は猪に追い立てられていて、樹に登って難を逃れるという、ちょっとコミカルな天皇ということになっています。

それに対して、日本書紀では歌ったのも、歌の目線も「舎人」です。天皇は樹に登ってもいませんし、猪を恐れてもいません。それどころか怒った猪を、弓で射て、踏み殺しています。なんという「勇猛」な天皇かと。
こういうカラクリではないか?
もともと葛城山に関わる、そういう演目があった。演し物というか、神楽というか、物語があり歌があった。それを雄略天皇の物語として取り込んだ。そのときに、古事記のときはオリジナルに近い描き方をした。猪が飛び出して、びっくりして樹に登って、そのハリの樹に感謝する…猪に追われたけど、このハリの樹があったから命が助かったなぁ…ってことです。だから雄略天皇はコミカルに描かれた。

ところが日本書紀を書く段になって、これではマズイと考えた。日本書紀が「外国向け」を前提としていたのも理由じゃないかと思います。こんなコミカルな天皇ではマズイ。

それで天皇は猪から逃げないし、倒すという立場になった。それが日本書紀と古事記の違いだろうと思います。
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