凡河内直香賜は胸方で采女を犯す

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雄略天皇(三十)凡河内直香賜は胸方で采女を犯す

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原文

九年春二月甲子朔、遣凡河內直香賜與采女、祠胸方神。香賜、既至壇所(香賜、此云舸拕夫)及將行事、姧其采女。天皇聞之曰「詞神祈福、可不愼歟。」乃遣難波日鷹吉士將誅之、時香賜退逃亡不在。天皇復遣弓削連豊穗、普求国郡縣、遂於三嶋郡藍原、執而斬焉。

現代語訳

即位9年春2月1日。凡河内直香賜(オオシコウチノアタイカタブ)と采女(ウネメ=氏族が朝廷に仕わせた女性)を派遣して、胸方神(ムナカタノカミ=宗像三女神のこと)を祀らせました。香賜(カタブ)は壇所(カムニワ=神の儀式を行う場所のこと)に至って…
香賜は舸拕夫(カタブ)と言います。

まさに事を行おうとするに至って、その采女を犯してしまいました。天皇はそれを聞いて言いました。
「神を祀って、福(サイワイ)を祈ることは、慎ましくなくてはいけない」
すぐに難波日鷹吉士(ナニワノヒダカノキシ)を派遣して誅殺することにしました。その時に香賜は逃げて居なくなっていてその場には居ませんでした。天皇はまた、弓削連豊穗(ユゲノムラジトヨホ)を派遣して、あらゆる国郡県を探し求めてついに三嶋郡(ミシマノコオリ)の藍原(アイハラ=摂津国島下郡安威郷=現在の大阪府茨木市大田)で捕らえて斬り殺しました。
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解説

宗像の神
宗像の神は福岡県宗像市の宗像神社の神のこと。大和国城上郡にも宗像神社があるのですが、これが大和にあるのは天武天皇以降の時代と思われます。

宗像の神は「海洋神」で海運の安全を願う神様です。この宗像の話が突然出るのは、前後の朝鮮半島での揉め事と無関係では無いでしょう。

この時代に宗像は重要な氏族となった。それは朝鮮や中国と交易をする上で海流を知る宗像が大事だったから。その神を天皇が派遣した人物が祀る、ということは宗像が大和に降ったという意味かと思われます。しかし、それは結局、「采女を犯した」ことで失敗します。何かの理由で宗像をコントロールすることが出来なかったのでしょう。
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