磐井の人間性・道臣から室屋まで帝を助け

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継体天皇(二十七)磐井の人間性・道臣から室屋まで帝を助け

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原文

秋八月辛卯朔、詔曰「咨、大連、惟茲磐井弗率。汝徂征。」物部麁鹿火大連再拜言「嗟、夫磐井西戎之姧猾、負川阻而不庭、憑山峻而稱亂、敗德反道、侮嫚自賢。在昔道臣爰及室屋、助帝而罰・拯民塗炭、彼此一時。唯天所贊、臣恆所重。能不恭伐。」

現代語訳

(即位21年)秋8月1日。継体天皇は詔(ミコトノリ)して言いました。
「あぁ!
大連よ。この磐井は従わない。お前が言って、征伐しろ」
物部麁鹿火大連は再拝(オガミ)して言いました。
「あぁ!
その磐井は西の戎(ヒナ=イミンゾク)の姧猾(カダマシキヤツコ=ひねくれたやつ)です。川が阻(サガシキ=邪魔して)ことを理由に朝廷に仕えません。山が高いからと乱を起こすのです。徳(イキオイ=道徳)を破って、道に反くのです。人を侮辱し高慢で、自分を賢いと思っているのです。昔、道臣(ミチノオミ)から室屋(ムロヤ)に至るまで帝を助け守って罰を与えてきました。民が塗炭(クルシキ=塗炭の苦しみというように塗炭は炭で焼かれること)を救ってきました。今も昔も同じです。ただ、天が助ける所はわたしめが常に重要だと思っていることです。恭順させられなければ、征伐いたしましょう」
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解説

芸文類聚
芸文類聚(ゲイモンルイジュウ)という唐代の書物があります。成立は624年。この本の中の一文がほぼまるまるこのページと次のページにあります。多少、人名や地名や、文の位置が違いますが、ほぼ丸ごとです。

これはつまり、書いた人物が中国の書物に精通していたということです。

この文章の中で「昔、道臣(ミチノオミ)から室屋(ムロヤ)に至るまで帝を助け守って」とあります。道臣とは神武天皇を道案内した人物で、室屋は大伴室屋で、大伴金村の祖父です。道臣は大伴氏の祖先ですから「道臣から室屋まで」という表現になります。この文章も「芸文類聚」からの引用で名前を変えただけなんですが、そこは置いておいて。

問題は、物部麁鹿火の発言なのに、なぜ大伴氏を評価する発言をしたのか?ということです。このあたり変。
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