詳細に報告を・奈率馬武を大使に

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欽明天皇(四十七)詳細に報告を・奈率馬武を大使に

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原文

十一年春二月辛巳朔庚寅、遣使詔于百濟(百濟本記云「三月十二日辛酉、日本使人阿比多、率三舟來至都下。」)曰「朕、依施德久貴・固德馬進文等所上表意、一々教示如視掌中、思欲具情、冀將盡抱。大市頭歸後如常無異、今但欲審報辭、故遣使之。又復朕聞、奈率馬武是王之股肱臣也、納上傳下、甚協王心而爲王佐。若欲国家無事・長作官家・永奉天皇、宜以馬武爲大使遣朝而已。」重詔曰「朕聞、北敵强暴。故賜矢卅具。庶防一處。」

現代語訳

即位11年。春2月10日。使者を派遣して百済に詔(ミコトノリ)して言いました。
百済本記によると、3月12日に日本の使者の阿比多(アヒタ)は三つの船を率いて、都下(クニ)に到着した、といいます。

「朕(ワレ)、施德久貴(セトクコンクイ)・固德馬進文(コトクメシンモン)たちが献上した表(フミ)の意(ココロ)が、一々(ツマビラカ=詳細に)、教え示すことは手のひらの中を見るようだ。情(ココロ)を具(ツブサ=詳細に)して欲しいと思う。願わくば、胸に抱いた思いを全て出し尽くして欲しい。大市頭(ダイシヅ=人名?)が帰った後、いつも通りで変わったことは無い。今、審(ツマビラカ=詳細に)に報告して欲しいと思う。使者を派遣して、朕はまた聞いた。奈率馬武(ナソチメム)は王の股肱(タスケ)の臣下だ。上のものには納め、下には伝え、王の心に協調して、王を助けた。もし、国家に事件が無く、長く官家(ミヤケ)として、永遠に天皇に仕えたいと思うならば、馬武(メム)を大使として、朝廷に派遣しろ」
重ねて詔して言いました。
「朕が聞くところによると、北の敵は強暴だという。よって矢を30具を与える。願わくば、一箇所で防げ」
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解説

百済は存亡の危機だというのですが、日本ではその状況がいまいち分かっていないみたいで、欽明天皇も気にはしている様子。しかし、
「話を聞いたところによると奈率馬武は優秀な臣下らしいね。大使として日本に派遣しなさいよ」
と、人材を求める発言をするあたり、「百済の問題」は百済が主張するほどにはヤマト朝廷は重要視していないっぽい。
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