崇峻天皇(十)即位・妃と子息子女

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崇峻天皇(十)即位・妃と子息子女

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現代語訳

(用明天皇即位2年)8月2日。炊屋姫尊(カシキヤヒメノミコト=推古天皇)と群臣は、崇峻天皇に即位を勧めて、天皇に即位しました。蘇我馬子宿禰(ソガノウマコノスクネ)を大臣とするのは、以前と同じです。卿大夫(マヘツノキミタチ=臣下たち)の位もまた以前と同じです。

この月(8月)に倉梯(クラハシ)に宮を作りました。

崇峻天皇即位1年春3月。大伴糠手連(オオトモノアラテノムラジ)の娘の小手子(コテコ)を妃としました。蜂子皇子(ハチノコノミコ)と錦代皇女(ニシキテノヒメミコ)を生みました。
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解説

崇峻天皇はここでやっと即位。
崇峻天皇の母親は蘇我稲目の娘ですから、蘇我馬子からすると崇峻天皇は甥っ子にあたります。この後に崇峻天皇は蘇我馬子によって暗殺されることになります。
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原文

八月癸卯朔甲辰、炊屋姫尊與群臣、勸進天皇卽天皇之位。以蘇我馬子宿禰爲大臣如故、卿大夫之位亦如故。是月、宮於倉梯。

元年春三月、立大伴糠手連女小手子、爲妃、是生蜂子皇子與錦代皇女。
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