推古天皇(三十五)蘇我馬子との歌い合い

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推古天皇(三十五)蘇我馬子との歌い合い

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原文

廿年春正月辛巳朔丁亥、置酒宴群卿。是日、大臣上壽歌曰、
夜酒瀰志斯 和餓於朋耆瀰能 訶句理摩須 阿摩能椰蘇河礙 異泥多々須
瀰蘇羅烏瀰禮麼 豫呂豆余珥 訶句志茂餓茂 知余珥茂 訶句志茂餓茂
訶之胡瀰弖 菟伽陪摩都羅武 烏呂餓瀰弖 菟伽陪摩都羅武 宇多豆紀摩都流

天皇和曰、
摩蘇餓豫 蘇餓能古羅破 宇摩奈羅麼 譬武伽能古摩 多智奈羅麼 句禮能摩差比
宇倍之訶茂 蘇餓能古羅烏 於朋枳瀰能 菟伽破須羅志枳

現代語訳

即位20年。春1月7日。酒を置き、飲んで、群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)と宴会をしました。この日に大臣(オオオミ=蘇我馬子)は寿(オオミサカヅキ=天皇からの杯)を奉って歌を歌って言いました。
やすみしし 我が大君の 隠(カク)ります 天の八十陰(ヤソカゲ) 出で立たす 御空を見れば 万代に かくしもがも 千代にも かくしもがも 畏みて 仕へ奉(マツ)らむ 拝(オロガ)みて 仕奉らむ 歌(ウタ)献(ヅ)きまつる
歌の訳(やすみししは「我が大君」の枕詞)私の大君が、住んでいる大きな影ができるほどの立派な御殿。出て、空を見れば、万代にわたり、立ち続け、千代にわたり、立ち続け、かしこみ仕え奉りましょう、拝み、仕え奉りましょう、と歌を献上いたしましょう!

天皇がこれに答えて言ったのが…
真蘇我(マソガ)よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向(ヒムカ)の駒(コマ) 太刀(タチ)ならば 呉(クレ)の真刀(マサヒ) 諾(ウベ)しかも 蘇我の子らを 大君(オオキミ)の 使はすらしき
歌の訳
蘇我の人よ。蘇我の子たちが、馬ならば、有名な日向の馬だろう。太刀ならば有名な呉国の真刀だ。それならば、蘇我の子たちを大君が使うのはもっともなことだ。
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解説

蘇我馬子の歌った歌は分かるのだけど、推古天皇が歌ったとする歌の「大君が使うのはごもっともだ」というところは、「推古天皇自身が言った」とするには不自然な気がします。もちろん、蘇我馬子はこれ以前の天皇からずっと天皇に仕えているわけですから、推古天皇が「(私より以前の)大君が使うのはごもっとも」と言ったとしても不自然ではないけども、それでも「現天皇」がこれを言うかな?と。

この歌は後世に作ったんじゃないかと個人的には思っています。後世に作ったというよりは、こういう推古天皇と蘇我馬子のやり取りを物語として伝える「神楽」のようなものがあって、それを文字に起こしたのがこの歌い合いではないかと。だから、歌合戦が実際には無かったという意味ではないし、歌自身も後世に作ったと言っても、全く何もないところから作ったということもないだろうと。
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