斑皮の百済人、路子工、別名を芝耆摩呂

MENU
TOP>推古天皇(日本書紀)>推古天皇(三十八)斑皮の百済人、路子工、別名を芝耆摩呂
スポンサードリンク

推古天皇(三十八)斑皮の百済人、路子工、別名を芝耆摩呂

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

是歲、自百濟国有化來者、其面身皆斑白、若有白癩者乎。惡其異於人、欲棄海中嶋、然其人曰「若惡臣之斑皮者、白斑牛馬不可畜於国中。亦臣有小才、能構山岳之形。其留臣而用則爲国有利、何空之棄海嶋耶。」於是、聽其辭以不棄、仍令構須彌山形及吳橋於南庭。時人號其人曰路子工、亦名芝耆摩呂。

現代語訳

この年(即位20年)、百済国から化来(オオヅカラニマウクル=自分で帰化しに来日する)する者がありました。その顔と体は皆、斑白(マダラ)でした。もしくは白癩(シラハタ=ハンセン氏病)ある者か。その人の異様であることを気味悪がり、憎んで、海の中の島に捨てようとしました。しかしその人は言いました。
「もし、私めの斑皮(マダラハダ)を気味悪がり、憎むのならば、白斑の牛や馬を国の中で飼うべきではないだろう。また、私めには、いささかの才能がある。山や丘の形を作ることができる。私を留めて用いれば、国のために利があるだろう。どうして空しくも海の島に捨てるのか」
その言葉を聞いて、捨てませんでした。それで須弥山(スミノヤマ=仏教で世界の中心の山)や呉橋(クレハシ=中国の呉国風の橋)を南庭(オオバ=宮中の庭)に作れと命令しました。その時代の人は、その人を路子工(ミチコノタクミ)と言いました。別名を芝耆摩呂(シキマロ)です。
スポンサードリンク

解説

病気で異様な状態となった人物ですが、その才能のために重用されるというお話。島に捨てるっても、殺さないだけ、かなり寛容に思えます。どこか寓話っぽいですよね。
それにしても「マダラの俺を島に捨てるなら、マダラの牛や馬をもう飼うなよな」なんて無茶苦茶な屁理屈ですよね。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

管理人リンク

編集