薬猟・犬上君御田鍬と矢田部造の遣隋使

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推古天皇(四十二)薬猟・犬上君御田鍬と矢田部造の遣隋使

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原文

廿二年夏五月五日、藥獵也。六月丁卯朔己卯、遣犬上君御田鍬・矢田部造(闕名)於大唐。秋八月、大臣臥病。爲大臣而男女幷一千人出家。

現代語訳

即位22年夏5月5日。薬猟(クスリガリ=鹿の角を取る狩り)をしました。

6月13日。犬上君御田鍬(イヌカミノキミミタスキ)・矢田部造(ヤタベノミヤツコ)…
名は洩らして、分からない。

を大唐(モロコシ)に派遣しました。

秋8月。大臣(オオオミ=蘇我馬子)は病気に臥しました。大臣のために男女合わせて1000人が出家しました。
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解説

5月5日
ここだけが急に干支ではなく、原文でも「5月5日」と書いています。

犬上君御田鍬
犬上君は近江国犬上郡の豪族。ヤマトタケルの子の稲依別王(イナヨリワケ)の子孫とも。
参考
ヤマトタケルの子孫・系譜
ヤマトタケルの子供達の子孫
稲依別王(イネヨリワケ)は、犬上君(イヌカミノキミ)・建部君(タケルベノキミ)の祖先です。

馬子のための出家
仏教は執着心を捨てる物なのに、結局、日本人は病気を治すという現世利益のものになっちゃってます。
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