皇極天皇(一)出自

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皇極天皇(一)出自

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原文

天豊財重日(重日、此云伊柯之比。)足姫天皇、渟中倉太珠敷天皇曾孫、押坂彦人大兄皇子孫、茅渟王女也。母曰吉備姫王。天皇順考古道、而爲政也。息長足日廣額天皇二年、立爲皇后。十三年十月、息長足日廣額天皇崩。

現代語訳

天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト=皇極天皇)は…
重日は伊柯之比(イカシヒ)と言います。

渟中倉太珠敷天皇(ヌナクラノフトタマシキノスメラミコト=敏達天皇)の曾孫で、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトオオエノミコ=敏達天皇の皇子)の孫で、茅渟王(チヌノオオキミ)の娘です。母は吉備姫王(キビツヒメノオオキミ)と言います。天皇は古(イニシエ)の道理に順序立てて考えて、政治を行いました。息長足日広額天皇(オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト=舒明天皇)の即位2年の時に皇后となりました。即位13年10月に息長足日広額天皇は崩御しました。
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解説

押坂彦人大兄皇子
押坂彦人大兄皇子は「敏達天皇(八)皇后と妃と子息子女」に記述があります。ちなみに敏達天皇の2番目の皇后は推古天皇です。押坂彦人大兄皇子は敏達天皇と最初の皇后である広姫の間に生まれた皇子です。
そして押坂彦人大兄皇子は田村皇子…舒明天皇の父親でもあります。

つまり皇極天皇と舒明天皇は夫婦なのですが、姪と叔父の関係になるのです。また皇極天皇は舒明天皇との結婚以前に高向王という謎の人物と結婚していて漢皇子なる人物を生んでいます。その上で、舒明天皇と結婚して、天智天皇・天武天皇・間人皇女(孝徳天皇の皇后)を産んでいるわけです。なんというか、強い女性です。
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