孝徳天皇(一)出自と即位の経緯

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孝徳天皇(一)出自と即位の経緯

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現代語訳

天万豊日天皇(アメヨロズトヨヒスメラミコト=孝徳天皇)は天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト=皇極天皇・斉明天皇)の同母弟(イロド)です。仏法(ホトケノミノリ)を尊び、神道を軽視しました。
生国魂社(イククニタマノヤシロ)の樹を斬った類のことです。

人となりは、仁があり、儒教を好みました。貴賎を選ばず、頻繁に恩勅(メグミ)を下しました。天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)の即位4年の6月14日。天豊財重日足姫天皇は位を中大兄(ナカノオオエ)に伝えようと思って、詔(ミコトノリ)して言いました。云々。

中大兄は退出して、中臣鎌子連(ナカトミノカマコノムラジ)に語って言いました。中臣鎌子連は謀議して言いました。
「古人大兄(フルヒトノオオエ)は殿下(キミ=ここでは中大兄のこと)の兄です。軽皇子(カルノミコ)は殿下の舅(オジ)です。今、古人大兄が居ます。それで殿下が天皇位を継げば、人として、弟が慎み従う心に違うことになります。しばらく舅(オジ)を立てて、民の願いに答えれば、良いでしょう」
中大兄は深くその謀議を褒めて、密かに聞き入れました。天豊財重日足姫天皇(=皇極天皇)は璽綬(ミシルシ=天皇の位を象徴する神器)を授けて、位を譲りました。策(オオミコトノリ)をして言いました。
「あぁ、汝、軽皇子(カルノミコ)」
と云々。
軽皇子は再三、固辞して、何度も古人大兄(フルヒトノオオエ)に譲って言いました。
別名を古人大市皇子(フルヒトノオオチノミコ)と言います。

「大兄命(オオエノミコト)は前の天皇が生んだ皇子です。そうして年長となり年老いました。この二つの理屈から、天皇位に居るべきです」
古人大兄は座(シキイ)を避け、逡巡(シリゾイテ=尻込みして)して、手を合わせて、辞して言いました。
「天皇の聖旨(オオミコトノムネ)を受け賜わり、従いましょう。どうして、労してまで、無理をしてまで、臣下に譲るというのでしょうか。私めは請い願います。出家して、吉野(ヨシノ)に入ります。仏道(ホトケノミチ)に勤めて、修行して、天皇を助けましょう」
辞し終わり、帯刀した太刀を解いて、地面に投げ捨てました。また、張内(トネリ=天皇・親族の舎人)に銘じて、皆、太刀を解かせました。すぐに自ら、法興寺(ホウコウジ)の仏殿と塔の間にもう出て、髪と髭を剃って、袈裟(ケサ)を着ました。それで軽皇子は固辞できなくなって、壇(タカミクラ)に登って、即位しました。
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解説

孝徳天皇(軽皇子)は、神道を軽んじたよう。仏教を重んじて、儒教を重んじた。「仁」というのは儒教では大事な人間の性質で、人の上に立つためには必要は「道徳」です。
貴賎を選ばず、頻繁に恩勅(メグミ)を下しました。

という文章があり、「恩勅」という表現はこれ以降、ちょくちょく出てきます。恩勅を「貴賎を選ばず」ということは、「生まれ」で人間を評価しなかったということです。

うーん。

儒教の世界観では先祖と子孫は同一体で、先祖の手柄は自分の手柄です。よって子々孫々まで高級官僚は高級官僚であり、庶民は庶民のままです。その一方で、科挙制度というのがあって、庶民は科挙という試験を突破すれば、出世することもできるのです。この「貴賎を選ばず恩勅」というのが、どういう意味なのかはちょっと微妙。
これ以前に聖徳太子が冠位十二階を決めて、「能力がある人」を出自とは無関係に出世させたエピソードと似たようなもので、単純に「能力主義」だったという意味じゃないかと私は思います。
ゆずり合う皇子
蘇我入鹿を退治した功労者である中大兄皇子でしたが、兄と叔父をすっ飛ばして天皇になるわけにはいかないと固辞。年長者である古人大兄は、仏道に入ったから固辞。そしてついにお鉢が回ってきた軽皇子が即位。
こういうのは史実というよりは「ガツガツしてるやつはダメ」という価値観の結果でしょうね。儒教ではとにかく「固辞」するのがパターン。
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原文

天萬豐日天皇、天豐財重日足姬天皇同母弟也。尊佛法、輕神道(斮生國魂社樹之類、是也)。爲人柔仁好儒。不擇貴賤、頻降恩勅。

天豐財重日足姬天皇四年六月庚戌、天豐財重日足姬天皇、思欲傳位於中大兄而詔曰、云々。中大兄、退語於中臣鎌子連。中臣鎌子連議曰、古人大兄、殿下之兄也。輕皇子、殿下之舅也。方今、古人大兄在而殿下陟天皇位、便違人弟恭遜之心。且立舅以答民望、不亦可乎。於是、中大兄深嘉厥議、密以奏聞。天豐財重日足姬天皇、授璽綬禪位。策曰、咨、爾輕皇子、云々。輕皇子、再三固辭、轉讓於古人大兄更名、古人大市皇子。曰、大兄命、是昔天皇所生而又年長。以斯二理、可居天位。於是、古人大兄、避座逡巡、拱手辭曰。奉順天皇聖旨、何勞推讓於臣、臣願出家、入于吉野、勤修佛道、奉祐天皇。辭訖、解所佩刀、投擲於地。亦命帳內、皆令解刀。卽自詣於法興寺佛殿與塔間、剔除髯髮、披着袈裟。
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