天武天皇(三十一)飛鳥浄御原宮へ・論功行賞・韋那公高見の死

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天武天皇(三十一)飛鳥浄御原宮へ・論功行賞・韋那公高見の死

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原文

九月己丑朔丙申、車駕還宿伊勢桑名。丁酉宿鈴鹿、戊戌宿阿閉、己亥宿名張、庚子詣于倭京而御嶋宮。癸卯、自嶋宮移岡本宮。是歲、營宮室於岡本宮南。卽冬、遷以居焉、是謂飛鳥淨御原宮。冬十一月戊子朔辛亥、饗新羅客金押實等於筑紫。卽日、賜祿各有差。

十二月戊午朔辛酉、選諸有功勳者、増加冠位。仍賜小山位以上、各有差。壬申、船一隻賜新羅客。癸未、金押實等罷歸。是月、大紫韋那公高見、薨。

現代語訳

(即位元年)9月8日。車駕(オオミマ=天皇が乗る車)が帰って、伊勢の桑名(クワナ)に宿を取りました。
9月9日。鈴鹿に宿を取りました。
9月10日。阿閉(アヘ=伊賀国阿拝郡=現在の三重県上野氏印代)に宿を取りました。
9月11日。名張(ナバリ=三重県名張市)に宿を取りました。
9月12日。倭京(ヤマトノミヤコ)に到着して、嶋宮(シマノミヤ)に居ました。
9月15日。嶋宮から岡本宮(=舒明天皇・斉明天皇の皇居)に移りました。
この年、宮室(オオミヤ)を岡本宮の南に作りました。その冬に移りました。これを飛鳥浄御原宮(アスカノキヨミハラノミヤ)と言います。

冬11月24日。新羅の客人の金押実(キンアフジチ)たちを筑紫で宴会してもてなしました。その日に禄を与え、それぞれに品がありました。

12月4日。諸々の功勲がある者を選んで、簡易を増やしたり加えたりしました。なお、小山位(ショウセンノクライ)より上を与えた場合は、それぞれに品がありました。
12月15日。船一隻を新羅の客人に与えました。
12月26日。金押実たちは帰りました。
この月に大紫(ダイシ)の韋那公高見(イナノキミタカミ=)が亡くなりました。
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解説

ここで日本書紀28巻が終了。28巻は実質、壬申の乱を扱った本でした。天武天皇は即位はしていることになっていますが、あくまで臨時政府というか、仮の話。ここから本格的な「政治」が始まります。
韋那公高見
韋那公(猪名公)は宣化天皇の皇子の上殖葉皇子(カミツウエハノミコ=古事記では恵波王)の子孫です。つまり相当に古い氏族です。
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