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垂仁天皇(二十一)山背の綺戸邊
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卅四年春三月乙丑朔丙寅、天皇幸山背。時左右奏言之、此国有佳人曰綺戸邊、姿形美麗、山背大国不遲之女也。天皇、於茲、執矛祈之曰「必遇其佳人、道路見瑞。」比至于行宮、大龜出河中、天皇舉矛剌龜、忽化爲白石。謂左右曰「因此物而推之、必有驗乎。」仍喚綺戸邊納于後宮、生磐衝別命、是三尾君之始祖也。先是、娶山背苅幡戸邊、生三男、第一曰祖別命、第二曰五十日足彦命、第三曰膽武別命。五十日足彦命、是子石田君之始祖也。
現代語訳
即位34年春3月2日。
天皇は山背(ヤマシロ)に行きました。
そのとき、左右(モトコ=側の人)が言いました。
「この国に佳人(=カオヨキヒト=美人)がいます。
綺戸邊(カニハタトベ)といいます。
姿形(カオカタチ)は美麗。
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘です」
天皇は矛(ホコ)を取って誓約をしました。
「必ず!
その佳人(カオヨキヒト)と結ばれるなら!!
道にその兆候が見える!」
行宮(カリノミヤ=移動先の仮の宮殿)に到着するところで大きな亀が川の中から出てきました。天皇は矛を上げて、亀を刺しました。すぐに亀は白い石になりました。
左右(モトコ=側の人)は言いました。
「この物から推し測るに、験(シルシ)なのでしょう」
そこで綺戸邊(カニハタトベ)を呼び寄せて、後宮(ウシロノミヤ)に入らせました。
磐衝別命(イワツクワケノミコト)を生みました。三尾君(ミオノキミ)の始祖です。
これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶りました。三人の男の子を生みました。第一子は祖別命(オオジワケノミコト)といいます。第二子を五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といいます。第三子を膽武別命(イタケルワケノミコト)といいます。五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は子石田君(?)の始祖です。
天皇は山背(ヤマシロ)に行きました。
そのとき、左右(モトコ=側の人)が言いました。
「この国に佳人(=カオヨキヒト=美人)がいます。
綺戸邊(カニハタトベ)といいます。
姿形(カオカタチ)は美麗。
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘です」
天皇は矛(ホコ)を取って誓約をしました。
「必ず!
その佳人(カオヨキヒト)と結ばれるなら!!
道にその兆候が見える!」
行宮(カリノミヤ=移動先の仮の宮殿)に到着するところで大きな亀が川の中から出てきました。天皇は矛を上げて、亀を刺しました。すぐに亀は白い石になりました。
左右(モトコ=側の人)は言いました。
「この物から推し測るに、験(シルシ)なのでしょう」
そこで綺戸邊(カニハタトベ)を呼び寄せて、後宮(ウシロノミヤ)に入らせました。
磐衝別命(イワツクワケノミコト)を生みました。三尾君(ミオノキミ)の始祖です。
これより先に山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)を娶りました。三人の男の子を生みました。第一子は祖別命(オオジワケノミコト)といいます。第二子を五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)といいます。第三子を膽武別命(イタケルワケノミコト)といいます。五十日足彦命(イカタラシヒコノミコト)は子石田君(?)の始祖です。
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解説
誓約について
誓約は言霊信仰を基にした「占い」のようなものです。言霊信仰では言葉が現実のものとなるという考えです。それは言葉を発した人物の霊威が強いほどに(もしくは正しいほど)現実化しやすいという性質があります。そこで言挙げ(コトアゲ)という宣言をして、天皇は自分を占ったわけです。そして見事、新しい嫁をゲットしたと。
白い石
石というと朝鮮系の神話に登場することで有名です。しかし、日本はそもそも「磐座」として「石」を神格化していたのですから「石」=「朝鮮系」ってのは、妥当な考えかどうかということに疑問ですね。
朝鮮半島にも「倭人」が住み、領地としていたのは魏志倭人伝にも明らかですから、「石」という共通の文化があったとしても何ら不思議ではないわけです。
誓約は言霊信仰を基にした「占い」のようなものです。言霊信仰では言葉が現実のものとなるという考えです。それは言葉を発した人物の霊威が強いほどに(もしくは正しいほど)現実化しやすいという性質があります。そこで言挙げ(コトアゲ)という宣言をして、天皇は自分を占ったわけです。そして見事、新しい嫁をゲットしたと。
白い石
石というと朝鮮系の神話に登場することで有名です。しかし、日本はそもそも「磐座」として「石」を神格化していたのですから「石」=「朝鮮系」ってのは、妥当な考えかどうかということに疑問ですね。
朝鮮半島にも「倭人」が住み、領地としていたのは魏志倭人伝にも明らかですから、「石」という共通の文化があったとしても何ら不思議ではないわけです。
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