「お前たち、それぞれ欲しいものを言え」

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垂仁天皇(十九)「お前たち、それぞれ欲しいものを言え」

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原文

卅年春正月己未朔甲子、天皇詔五十瓊敷命・大足彦尊曰「汝等、各言情願之物也。」兄王諮「欲得弓矢。」弟王諮「欲得皇位。」於是、天皇詔之曰「各宜隨情。」則弓矢賜五十瓊敷命、仍詔大足彦尊曰「汝必繼朕位。」

現代語訳

即位30年の春1月6日。天皇は五十瓊敷命(イニシキノミコト)・大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)に言いました。
「お前たち、それぞれ欲しいものを言え」
兄王(=イニシキ命のこと)は言いました。
「弓矢を得たいと思います」
弟王(=オオタラシヒコ尊のこと=景行天皇)は
「皇位を得たいと思います」
といいました。
それで垂仁天皇は言いました。
「それぞれの心のままにすべし」
すぐに弓矢を五十瓊敷命(イニシキノミコト)に与えました。そして大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)に言いました。
「お前は、必ず我が位(=皇位=天皇の地位)を継げ」
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解説

皇太子はどうして選ばれるか?
垂仁天皇は夢占いで選ばれた弟。景行天皇も問答で選ばれた弟。遡って綏靖天皇は自分を暗殺しようとした兄の手硏耳命を、もう一人の兄の神八井耳命と一緒に討って、譲り合って結局、天皇になります。

いつも弟が「善」側です。
実際に弟が継いだのもあるでしょう。
もしかすると末子相続は「漁師」「海洋民族」の風習であり、当時完全な農耕民族だった日本人にとっては、すでに「一般的」ではなかったのかもしれません。だから言い訳のような物語を残したのではないかと。

または儒教が伝来し、儒教を政治に取り入れる上で、「末子相続」という風習と、儒教の思想の「長子相続」のつじつま合わせの言い訳に作られた話なんじゃないかとも。つまり、風習としては末子相続なんだけど、儒教という最新式の思想によると、長男が相続するのが「正義」なんですね。そこで「どうして末子が相続したのか?それにはこんな正当な理由があるんですよ。それはね・・・」という物語が、上記の皇位相続の経緯にあったのではないか?と考えています。
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