御名代を定め、治水事業を行う

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御名代を定め、治水事業を行う

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原文

此の天皇の御世に大后石之日賣の命の御名代と爲て葛城部を定め、また太子伊邪本和氣の命の御名代と爲て壬生部を定め、また水齒別の命の御名代と爲て蝮部を定め、また大日下の王の御名代と爲て大日下部を定め、若日下部の王の御名代と爲て若日下部を定めき。 また秦人を役てて茨田の堤及び茨田の三宅を作り、また丸邇の池、依網の池を作り、また難波の堀江を堀りて海に通し、また小椅の江を堀り、また墨江の津を定めき。

現代語訳

仁徳天皇の時代に大后(オオキサキ)の石之日賣命(イワノヒメノミコト)の名を残す私有地として葛城部(カヅラキベ)を定め、また太子の伊邪本和氣命(イザホワケノミコト)の名を残す私有地として壬生部(ミブベ)を定め、また水齒別命(ミズハワケノミコト)の名を残す私有地として蝮部(タジヒベ)を定め、また大日下王(オオクサカノミコ)の名を残す私有地として大日下部(オオクサカベ)を定め、若日下部王(ワカクサカベノミコ)の名を残す私有地として若日下部(ワカクサカベ)を定めました。

また応神天皇の時代に新羅から来た秦人(ハタヒト)を使役して茨田堤(マムタノツツミ=河内国茨田郡茨田郷=現在の大阪府寝屋川市)と茨田三宅(マムタノミヤケ=茨田の皇室の直轄領)を作り、また丸邇池(ワニノイケ=奈良市池田町か大阪府富田林市貴志の池)、依網池(ヨサミノイケ=応神天皇の時代に作られた大阪府堺市池内の池)を作り、また難波堀江を堀って海に通し、また小椅江(オバシノエ=大阪市天王寺区小橋町)を堀り、また墨江津(スミノエノツ=大阪市住吉区住吉神社の近くの港。ただしこの時代の住吉神社は現在よりも北2キロの場所)を定めました。
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解説

御名代
御名代は皇子や媛の名前を冠した土地です。
治水
仁徳天皇の時代は大阪の治水に注力しています。日本は雨の多い地域で、梅雨や秋の長雨の大雨によって川が氾濫して、田畑が大変な事になると、生活がおかしくなってしまいます。現代の日本人は「天皇が絶対的権力」を持っていると思いがちですが、そういうことは無く、この時代では治水工事は直接、天皇の権力基盤に影響する大事な仕事、だったと思われます。
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