依網池(ヨサミノイケ)

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依網池

投稿日時:2017-05-03 12:57:11
漢字・読みヨサミノイケ
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概要

大阪府堺市池内から大阪府大阪市東住吉区の大きな範囲にあった人工の池。
日本で(記述のある)最古のため池。
宝永元年(1704)の大和川ができて流れが変えられたため、水が流れ込まなくなり、徐々に縮小。現在は池がない。
池があったところ…大阪市住吉区庭井2丁目に石碑が建てられています。

古事記や日本書紀では崇神天皇の時代に灌漑目的に作られたとあります。
日本書紀によれば「崇神天皇即位62年10月に作った」とあります。
実際にその頃に池があったかどうかは分かりませんが、無かったという証拠も特にない。素直に日本最古の人工池・ため池があったのだ!でいいのではないかと。

応神天皇の時代には、依網池の歌があることを考えると、池には宗教性があったのかもしれません。古来では川も山も「神」でした。池を人工的に作るってのは当時の感覚では「神を作る」みたいな意味があったのではないかなぁと。この池が崇神天皇の時代に作られ、応神天皇の時代に歌われることには何か意味があるのかもしれない。無論、個人的な推測ですが。
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古事記からの引用

初国知らしし御真木天皇
この祟神天皇の時代に灌漑のための溜池である依網池(ヨサミノイケ)と酒折池(サカオリノイケ)を作りました。

水溜る依網池
水溜る 依網池(ヨサミノイケ)の 堰杙打ちが さしける知らに 蓴繰り 延へけく知らに 我が心しぞ いや愚にして 今ぞ悔しき

日本書紀からの引用

崇神天皇(二十四)依網池・苅坂池・反折池を造る(日本書紀)
崇神天皇即位62年秋7月2日に詔を発しました。
「農業は天下の大きな本(モト)です。民の力を頼りにしているものだ。今の河内の狭山(サヤマ=大阪府南河内郡狭山町)の埴田(ハニタ=粘土質の田)には水が少ない。その国の百姓は農業が出来ない。そこで沢山の池溝(ウナネ=ウナデ=農業用水路)を掘って、民の業(ナリワイ)を広めよう」

冬10月に依網池(ヨサミノイケ=大阪市東住吉区の地域?)を造りました。

応神天皇(八)道の後 古波陀乙女
水溜まる 依網池(ヨサミノイケ)に
蓴(ヌナハ)繰(ク)り 延(ハ)へけく知らに
堰杭(ヌグイ)築(ツ)く 川俣江(カワマタエ)の
菱茎(ヒシガラ)の さしけく知らに
我が心し いや愚(ウコ)にして
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