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顕宗天皇の妃と子について
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伊弉本別の王の御子、市邊の忍齒別の王の御子、袁祁の石巣別の命、近つ飛鳥の宮に坐しまして天の下治しめすこと捌歳。天皇石木の王の女、難波の王を娶りて、子无し。
現代語訳
伊弉本別王(イザホワケノミコ=履中天皇)の子供の市辺忍歯別王(イチノヘノオシハワケノミコ)の子供の袁祁石巣別命(ヲケノイワスワケノミコト=顕宗天皇)は近つ飛鳥宮(チカツアスカノミヤ)に居て、天下を治めること8年でした。天皇は石木王(イワキノミコ)の娘の難波王(ナニワノミコ)を娶りましたが子はいませんでした。
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解説
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顕宗天皇・仁賢天皇・武烈天皇(古事記)の表紙へ
- Page1 顕宗天皇の妃と子について
- Page2 老婆は御骨の場所を知る。三枝のような押歯だった。
- Page3 置目もや 淡海の置目 明日よりは み山隠りて 見えずかもあらむ
- Page4 御粮を奪った老人を飛鳥河で斬り、一族の膝の筋を切る
- Page5 大長谷天皇の陵への報復と結末
- Page6 仁賢天皇の皇后と子息子女
- Page7 武烈天皇の治世と後継
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