御粮を奪った老人を飛鳥河で斬り、一族の膝の筋を切る

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御粮を奪った老人を飛鳥河で斬り、一族の膝の筋を切る

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書き下し文

初め天皇の難に逢いて逃げし時に、其の御粮を奪いし猪甘の老人を求めき。是を求むるを得て、喚し上げて、飛鳥河の河原に斬りて、皆、其の族の膝の筋を斷ちき。是を以ちて今に至るまで其の子孫、倭に上る日には、必ず自ら跛ぐなり。故、能く其の老の在る所を見志米岐【志米岐の三字は音を以ちてす】。故、其の地を志米須と謂う。

現代語訳

始め、天皇が難(ワザワイ=災い=雄略天皇に父を殺された時のことを指す)に逢って逃げたときに、その御粮(ミカリテ=乾かした食料)を奪った猪甘(イカイ=動物を飼う人)の老人(オキナ)を探し求めました。これを探し当てて、呼び寄せて、飛鳥河(アスカガワ)の河原で斬り殺しました。またその族(ウガラ=一族)の膝の筋を断ち切りました。これで現在までその子孫(アナスエ)は倭に上る日には必ず自然と跛(アシナエ=足を引きづること)ぎます。それでその老人のいた土地を見志米岐(ミシマキ=見させた)しました。それでその土地を志米須(シメス)といいます。
日本書紀の対応箇所
なし
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解説

儒教について
儒教では先祖と子孫は同一体です。先祖の手柄は子孫の手柄ですが、先祖の罪は子孫の罪という面倒な考えです。よって老人の子孫まで膝の筋を切られてしまいます。
現在の日本人は親は親、子は子、それより前の世代となると無関係という感覚ですが、これが儒教では通じません。これが中国韓国が「ニホンガー!」と言う理由の一つです。
足を引きずる?
似たような話で、山幸彦・海幸彦のところで山幸彦にやられた海幸彦の子孫である隼人の子孫も溺れる仕草を演じると書いてあります。

じゃあ、相当古くから儒教の考えがあった?というわけじゃなく、おそらく「足を引きづる儀式」というのがあって、そこに老人の話が組み合わさっていったのではないかと思います。

溺れる儀式と足を引きずる儀式
山幸彦に溺れさせられた海幸彦は隼人の先祖であり、海洋民族です。彼らが溺れる所作をしたのは、「かつて山幸彦に敗北した」ことを後世に残すため、では無かったでしょう。別の理由があった。これは個人的な推測ですが、「身代わり」だと思います。海で溺れるというのは恐怖だった。そんな悲劇は少ないほうがいい。そこで前もって溺れる所作をすることで、その不幸を前借りして予防したんじゃないかと思うんですよ。もちろん合理的じゃないですよ。でも古代の日本人にとっては化学的で合理的な考え方だった。それでそういう儀式があった。まぁ、安全を祝う儀式というべきでしょう。

足を引きづるってのもそういう意味があったんじゃないかなと思うのです。足を引きづることで、足腰の不調を前借りして予防するという考えがあって、そういう儀式があった。健康祈願ですね。それを物語の中に組み込んだ、そういうことではないかと。
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