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雄略天皇(五十五)久麻那利を汶洲王に与えて百済を再興
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廿一年春三月、天皇、聞百濟爲高麗所破、以久麻那利賜汶洲王、救興其国。時人皆云「百濟国、雖屬既亡、聚夏倉下、實頼於天皇、更造其国。」汶洲王、蓋鹵王母弟也。日本舊記云「以久麻那利、賜末多王。」蓋是誤也。久麻那利者、任那国下哆呼唎縣之別邑也。
現代語訳
即位21年春3月、天皇は百済が高麗に敗れたと聞いて、久麻那利(コムナリ)を汶洲王(モンスオウ=三国史記によると蓋鹵王の子)に与えて、その国を救い起こしました。時の人は皆、言いました。
「百済国は属(ヤカラ=一族)はすでに滅んでいて、倉下(ヘスオト)に集まって憂いたといえども、天皇の頼(ミタマノフユ=天皇の霊威のこと)のおかげで、その国を成した」
「百済国は属(ヤカラ=一族)はすでに滅んでいて、倉下(ヘスオト)に集まって憂いたといえども、天皇の頼(ミタマノフユ=天皇の霊威のこと)のおかげで、その国を成した」
汶洲王は蓋鹵王の母の弟です。日本旧記(ニホンクキ)によると久麻那利を末多王(マタオウ…24代王で三国史記では東城王。蓋鹵王から見ると甥)に与えたといいます。おそらくこれは誤りです。久麻那利は任那国の下哆呼唎縣(アロシタコリノコオリ)の別邑(ワカレノムラ)です。
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解説
日本旧記
ここでしか登場しないのですが、こうやって描かれるということは、これ以前に日本の歴史をまとめた本が何種類かあった、ということかと。
ここでしか登場しないのですが、こうやって描かれるということは、これ以前に日本の歴史をまとめた本が何種類かあった、ということかと。
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雄略天皇(日本書紀)の表紙へ
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- Page55 雄略天皇(五十五)久麻那利を汶洲王に与えて百済を再興
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