歌場での逢瀬と鮪臣の邪魔

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武烈天皇(三)歌場での逢瀬と鮪臣の邪魔

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原文

由是、太子、欲往期處、遣近侍舍人就平群大臣宅、奉太子命求索官馬。大臣戲言陽進曰「官馬、爲誰飼養。隨命而已。」久之不進。太子、懷恨、忍不發顏、果之所期、立歌場衆(歌場、此云宇多我岐)執影媛袖、躑躅從容。俄而鮪臣來、排太子與影媛間立。由是、太子放影媛袖、移廻向前、立直當鮪。

現代語訳

太子は約束した場所へと行くことにしました。それで側近の舎人を派遣して平群大臣の宅へと行かせ、太子の命を奉じて官馬(ツカサウマ)を探し求めさせました。大臣は戯(タワム)れて嘘を言いました。
「官馬は誰のために飼い養っているというのでしょうか? もちろんあなたのためです。命令のままに進呈しましょう」
と言ったのですが、いつまで経っても献上しませんでした。太子は心の中で恨みに思いましたが、忍んで顔には出しませんでした。それで約束した場所に行き、歌場(ウタガキ=男女が市で乾坤の歌を掛け合うこと)の人がたくさん居る中に立って、影媛が袖を取って、躑躅(タチヤスライ=立ち止まったりゆったり歩いたりして)して、誘いました。
歌場は宇多我岐(ウタガキ)と読みます。

しばらくして鮪臣(シビノオミ)が来て、太子と影媛の間を押して離して立ちました。これで太子と影媛が袖を離してしまい、回って前に向かい、立って直に鮪に当たりました。
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解説

結婚儀礼
日本書紀の物語ってのは儀式をそのまま取り込んだものじゃないかと。ただ登場人物が創作とは限らない、というか創作ではないし、人物の関係性なども史実なんでしょう。

それで、古代では男女は歌を歌って結婚しました。その場所が「歌場」です。これは今で言うところの祭りの盆踊りでしょう。「歌場(ウタガキ)の衆(ヒトナカ)」で「袖をとらえて」「立ち止まったり、ゆったりして」というのは、まさにそういうことじゃないかと。でも、いくら古代であっても、太子が盆踊りをしているかっていうと疑問でしょう。この時代にはそういう儀式とか風習があって、それを日本書紀に取り込んだと考えたほうが自然。
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