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武烈天皇(二)平群真鳥の専横と物部麁鹿火の娘の影媛
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十一年八月、億計天皇崩。大臣平群眞鳥臣、專擅国政、欲王日本、陽爲太子營宮、了卽自居、觸事驕慢、都無臣節。於是、太子、思欲聘物部麁鹿火大連女影媛、遺媒人向影媛宅期會。影媛、會姧眞鳥大臣男鮪。(鮪、此云茲寐。)恐違太子所期、報曰「妾望、奉待海柘榴市巷。」
現代語訳
仁賢天皇即位11年8月。億計天皇(オケノスメラミコト=仁賢天皇)が崩御しました。大臣平群真鳥臣(ヘグリノマトリノオミ)は国の政治をほしいままにして日本の王になろうと思っていました。騙して太子(=武烈天皇のこと)のための宮をつくるフリをしました。作り終わって、その宮に自分が住みました。触事(コトゴト)で奢り、傲慢になり、臣下としての節度がまったくありませんでした。太子は物部麁鹿火大連(モノノベノアラカヒノオオムラジ)の娘の影媛(カゲヒメ)を聘(アト=娶ると同義だが、礼を尽くして招くという意味がある)へようと思って、媒人(ナカダチ=仲人)を派遣して、影媛の家に向かわせて会うことを約束しました。影媛は以前に真鳥大臣の息子の鮪(シビ)に犯されていました。
影媛は太子と約束した場所がまちがっているのを恐れて
「わたしめとしては、願わくば、海柘榴市(ツバキチ=現在の奈良県桜井市金屋)の港で待っています」
鮪は茲寐(シビ)と読みます。
影媛は太子と約束した場所がまちがっているのを恐れて
「わたしめとしては、願わくば、海柘榴市(ツバキチ=現在の奈良県桜井市金屋)の港で待っています」
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解説
平群
平群は本来は地名。平群氏としては応神天皇の時代から見られるのでかなり歴史があります。この有力氏族の専横が目に余り、この武烈天皇の時代に誅殺されるわけです。ちなみに平群氏は武内宿禰の子孫となっています。
また平群臣真鳥の名前が最初に出るのは雄略天皇の時代です。
平群は本来は地名。平群氏としては応神天皇の時代から見られるのでかなり歴史があります。この有力氏族の専横が目に余り、この武烈天皇の時代に誅殺されるわけです。ちなみに平群氏は武内宿禰の子孫となっています。
また平群臣真鳥の名前が最初に出るのは雄略天皇の時代です。
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武烈天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 武烈天皇(一)法令に明るく、残虐な人物
- Page2 武烈天皇(二)平群真鳥の専横と物部麁鹿火の娘の影媛
- Page3 武烈天皇(三)歌場での逢瀬と鮪臣の邪魔
- Page4 武烈天皇(四)鮪臣と太子の影媛争奪の歌合戦
- Page5 武烈天皇(五)平群の父子の不敬に怒り、兵を起こす
- Page6 武烈天皇(六)葬送の歌
- Page7 武烈天皇(七)影媛「苦しいことです。愛する夫を失った」
- Page8 武烈天皇(八)大伴金村による真鳥の誅殺と塩の呪い
- Page9 武烈天皇(九)大伴金村連は太子に尊号を奉り、大連となる
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