安閑天皇(一)人間性と即位の経緯

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安閑天皇(一)人間性と即位の経緯

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原文

勾大兄廣国押武金日天皇、男大迹天皇長子也、母曰目子媛。是天皇、爲人、墻宇㠜峻不可得窺、桓々寛大有人君之量。

廿五年春二月辛丑朔丁未、男大迹天皇立大兄爲天皇、卽日男大迹天皇崩。是月、以大伴金村大連爲大連、物部麁鹿火大連爲大連、並如故。

現代語訳

勾大兄廣国押武金日天皇(マガリノオオエヒロクニオシタケカナヒノスメラミコト=安閑天皇)は男大迹天皇(オオドノスメラミコト=継体天皇)の長子(エミコ)です。この天皇の人となりは、墻宇㠜峻(ウツワモノイツクシ=器量が良い)で、器が大きすぎて底がうかがい知れないほどです。桓々寛大(タケクユタカニオオキ=武々しく寛大)で、人君(スメラミコト=天皇)の器量がありました。

継体天皇即位25年の春2月7日。男大迹天皇(=継体天皇)は大兄(オオエ=安閑天皇のこと)を立てて天皇としました。男大迹天皇は崩御しました。

この月に大伴大連を大連とし、物部麁鹿火大連を大連をしました。これらは以前と同じです。
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解説

即位25年
継体天皇即位25年の時点で、まだ継体天皇が存命の状態で、安閑天皇は即位したと書いてあります。そしてその日に継体天皇は崩御したと。

この辺りは、継体天皇の最後で、即位25年で死亡とも、即位28年で死亡とも、また皇子・太子とともに合葬されたともある記述を考えると、いろいろと疑念が湧きます。

ただ、大伴金村・物部麁鹿火の大連がそのまま権力についているということは、体制そのものに大きな変化は無かったのではないかとは思います。
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