味張は钁丁を献上・三嶋竹村屯倉には河内県の部曲を

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安閑天皇(八)味張は钁丁を献上・三嶋竹村屯倉には河内県の部曲を

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原文

於是、縣主飯粒、喜懼交懷、廼以其子鳥樹獻大連爲僮竪焉。於是、大河內直味張、恐畏永悔、伏地汗流、啓大連曰「愚蒙百姓、罪當萬死。伏願、毎郡、以钁丁春時五百丁・秋時五百丁奉獻天皇、子孫不絶。藉此祈生、永爲鑒戒。」別以狹井田六町賂大伴大連。蓋三嶋竹村屯倉者、以河內縣部曲爲田部之元於是乎起。

現代語訳

県主飯粒(アガタヌシイイボ)は喜びかしこまり、心が満ちました。すぐにその子供の鳥樹(トリキ)を大連(オオムラジ=ここでは大伴金村)に献上して僮竪(シトベワラワ=少年の従者)としました。それで大河内直味張(オオシカフチノアタイアジハリ)は恐れ困り、悔しがって、土に伏して冷や汗を流しました。大連に申し上げて言いました。
「愚かで蒙(クライ=暗い=ものを知らない)百姓である私の罪は万死に直します。伏して願います。郡毎(コオリゴト)に钁丁(クワヨホロ)を春の時に500丁、秋のときに500丁を天皇に奉り献上して、子孫も絶たやさず、続けましょう。これよって生を祈り、永遠に戒めとしましょう」
それとは別に狹井田(サイタ=地名だが未詳)を六町(町は面積の単位)を大伴大連に送りました。三嶋竹村屯倉(ミシマノタカフノミヤケ)には河内県(カフチノアガタ)の部曲(ウジヤツコ=豪族の私有民)をもって田部とすることの始まりはこれからです。
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解説

钁丁
钁は農具のクワとかスキのことですから、500丁というのはおそらくクワを500本ってことでしょう。それを春と秋に納めると。
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