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安閑天皇(四)下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁の来朝
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五月、百濟遣下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁等、來貢常調、別上表。
現代語訳
(即位1年)5月。百済は下部脩德嫡德孫(カホウシウトクチャクソン=下部は百済の5部のうちの一つ。修得は官位)・上部都德己州己婁(シヤウホウトトクコツコル=上部は百済の5部の一つ。都徳は官位)などを派遣して、日本に来て、いつもの調(ミツキ=税・貢物)を献上しました。別に表(フミ)を献上しました。
解説
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安閑天皇・宣化天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 安閑天皇(一)人間性と即位の経緯
- Page2 安閑天皇(二)勾金橋への遷都・春日山田皇女を皇后に
- Page3 安閑天皇(三)大麻呂は伊甚国造に真珠を求める
- Page4 安閑天皇(四)下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁の来朝
- Page5 安閑天皇(五)大河内直味張の雌雉田
- Page6 安閑天皇(六)小墾田屯倉を紗手媛に・桜井屯倉を香々有媛に・難波屯倉を宅媛に
- Page7 安閑天皇(七)県主飯粒は喜んで土地を献上・味張をクビ
- Page8 安閑天皇(八)味張は钁丁を献上・三嶋竹村屯倉には河内県の部曲を
- Page9 安閑天皇(九)廬城部連枳莒喩の娘の幡媛の罪・物部尾輿も土地を献上
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