下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁の来朝

MENU
TOP>安閑天皇・宣化天皇(日本書紀)>安閑天皇(四)下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁の来朝
スポンサードリンク

安閑天皇(四)下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁の来朝

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

五月、百濟遣下部脩德嫡德孫・上部都德己州己婁等、來貢常調、別上表。

現代語訳

(即位1年)5月。百済は下部脩德嫡德孫(カホウシウトクチャクソン=下部は百済の5部のうちの一つ。修得は官位)・上部都德己州己婁(シヤウホウトトクコツコル=上部は百済の5部の一つ。都徳は官位)などを派遣して、日本に来て、いつもの調(ミツキ=税・貢物)を献上しました。別に表(フミ)を献上しました。

解説

次のページと関連が薄いのと長いのでぶった切りました。
継体天皇のときに、百済と新羅との関係が悪化したような気がしましたが百済は相変わらず、日本を特別視しているようです。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集