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欽明天皇(七十四)威德王が聖明王の跡を継いで立つ
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十八年春三月庚子朔、百濟王子餘昌嗣立。是爲威德王。
現代語訳
即位18年春3月1日。百済の王子の余昌が後を継いで立ち、王になりました。これが威德王(イトクオウ)です。
解説
威德王の名前はすでに「欽明天皇(五十九)百合野塞の攻防」に登場しています。登場していると言っても、「余昌はのちの威德王ですよ」という但し書きなので、登場とは言わないでしょうけどね。
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- Page70 欽明天皇(七十)白猪屯倉の設置
- Page71 欽明天皇(七十一)余昌は出家を望む・臣下と百姓の反対
- Page72 欽明天皇(七十二)恵に阿倍臣・佐伯連・播磨直・筑紫火君の護衛
- Page73 欽明天皇(七十三)備前の児嶋郡と倭国の高市郡に屯倉を設置
- Page74 欽明天皇(七十四)威德王が聖明王の跡を継いで立つ
- Page75 欽明天皇(七十五)弥至己知奈末の進言
- Page76 欽明天皇(七十六)久礼叱及伐干と奴氐大舍の怒り・穴門館の河内馬飼首押勝
- Page77 欽明天皇(七十七)新羅は任那の官家を滅ぼす
- Page78 欽明天皇(七十八)新羅による任那の虐殺
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