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欽明天皇(七十八)新羅による任那の虐殺
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夏六月、詔曰「新羅、西羌小醜、逆天無狀、違我恩義、破我官家、毒害我黎民、誅殘我郡縣。我氣長足姫尊、靈聖聰明、周行天下、劬勞群庶、饗育萬民、哀新羅所窮見歸、全新羅王將戮之首、授新羅要害之地、崇新羅非次之榮。我氣長足姫尊於新羅何薄、我百姓於新羅何怨。而新羅、長戟强弩、凌蹙任那、鉅牙鉤爪、殘虐含靈、刳肝斮趾、不厭其快、曝骨焚屍、不謂其酷。任那族姓、百姓以還、窮刀極爼、既屠且膾。豈有率土之賓・謂爲王臣、乍食人之禾・飲人之水、孰忍聞此而不悼心。況乎太子大臣、處趺蕚之親、泣血銜怨之寄、當蕃屏之任、摩頂至踵之恩、世受前朝之德、身當後代之位。而不能瀝膽抽腸・共誅姧逆・雪天地之痛酷・報君父之仇讎、則死有恨臣子之道不成。」
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現代語訳
(即位23年)夏6月。詔(ミコトノリ)して言いました。
「新羅は西羌(ニシノヒナ)であり、小さく醜い、卑しい国です。天に逆らい、無状(アジキナシ=無作法なこと)です。わたしの恩義に背いて、わたしの官家(ミヤケ=直轄地)を破り奪いました。わたしの黎民(オオミタカラ=領民=百姓=国民)を毒して麻痺させ、わたしの郡県(クニコオリ)を滅ぼして損なった。わたしの祖先の気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は霊聖(クシヒ=霊威が強く聖なる存在)で、聡明で、天下を巡った。もろもろの庶民たちを慰労し、万民を養い育んだ。新羅が貧窮しているのを哀れに思って、新羅の王が打ち首になると差し出した首を切らず、新羅に要害(ヌミ)の土地を授けた。新羅の領分を越えるほどに栄えるように計らった。わたしの祖先の気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は新羅に薄い待遇をしただろうか? わたしの百姓に新羅はなんの恨みがあるというのか。新羅は長戟(ナガキホコ)・強弩(ツヨキユミ)で任那を凌ぎ、攻めて、鉅牙(オオキナルキ)・鉤爪(マガレルツメ)で含霊(オオミタカラ=人間・人類)を残虐に殺した。肝を刺し、足を斬り、その快楽に明け暮れた。骨を晒し、屍体を焼いて、その残酷さを理解しない。任那の族姓(ヤカラ=一族)も、百姓(タミ)より以下のものも、刀で身動きが取れないようにして、俎(マナイタ)で、追い詰め、屠殺し、膾(ナマス)に作った。率土之賓(クヌチノヒト=この世の果ての人)が王臣(キミヤッコ=王の部下)として、人の禾を食べ、人の水を飲みながら、どうしてこれを忍び聞いて、心が痛まない、と思うことがあるだろうか(普通の人間なら新羅の残虐さに心を痛めるという意味)。いうまでもなく、太子・大臣は趺蕚(ミアナスエ=子孫・世継ぎ)は任那の人々と親しく仲睦まじくしていて、血に泣き、恨みを心に含むだけの由縁があった。蕃屏(カクレマガキ=守るもの…ここでは大臣を指す)の任にあたり、頭頂から踵まで恩があった。現在の世と、前の朝(ミカド=天皇)の徳を受けて、その身は後の代の位になった。にも関わらず、肝を絞り出し腸を抽出し(とても苦労してという意味)、姧逆(カダマシクサカレル=反逆するもの)を誅殺し、天地の痛酷(イタミゴト)を清め、君父の仇に報復できないとなれば、死んでも臣子(ヤッコラマコドモ)の道に成らないと恨むだろう」
「新羅は西羌(ニシノヒナ)であり、小さく醜い、卑しい国です。天に逆らい、無状(アジキナシ=無作法なこと)です。わたしの恩義に背いて、わたしの官家(ミヤケ=直轄地)を破り奪いました。わたしの黎民(オオミタカラ=領民=百姓=国民)を毒して麻痺させ、わたしの郡県(クニコオリ)を滅ぼして損なった。わたしの祖先の気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は霊聖(クシヒ=霊威が強く聖なる存在)で、聡明で、天下を巡った。もろもろの庶民たちを慰労し、万民を養い育んだ。新羅が貧窮しているのを哀れに思って、新羅の王が打ち首になると差し出した首を切らず、新羅に要害(ヌミ)の土地を授けた。新羅の領分を越えるほどに栄えるように計らった。わたしの祖先の気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)は新羅に薄い待遇をしただろうか? わたしの百姓に新羅はなんの恨みがあるというのか。新羅は長戟(ナガキホコ)・強弩(ツヨキユミ)で任那を凌ぎ、攻めて、鉅牙(オオキナルキ)・鉤爪(マガレルツメ)で含霊(オオミタカラ=人間・人類)を残虐に殺した。肝を刺し、足を斬り、その快楽に明け暮れた。骨を晒し、屍体を焼いて、その残酷さを理解しない。任那の族姓(ヤカラ=一族)も、百姓(タミ)より以下のものも、刀で身動きが取れないようにして、俎(マナイタ)で、追い詰め、屠殺し、膾(ナマス)に作った。率土之賓(クヌチノヒト=この世の果ての人)が王臣(キミヤッコ=王の部下)として、人の禾を食べ、人の水を飲みながら、どうしてこれを忍び聞いて、心が痛まない、と思うことがあるだろうか(普通の人間なら新羅の残虐さに心を痛めるという意味)。いうまでもなく、太子・大臣は趺蕚(ミアナスエ=子孫・世継ぎ)は任那の人々と親しく仲睦まじくしていて、血に泣き、恨みを心に含むだけの由縁があった。蕃屏(カクレマガキ=守るもの…ここでは大臣を指す)の任にあたり、頭頂から踵まで恩があった。現在の世と、前の朝(ミカド=天皇)の徳を受けて、その身は後の代の位になった。にも関わらず、肝を絞り出し腸を抽出し(とても苦労してという意味)、姧逆(カダマシクサカレル=反逆するもの)を誅殺し、天地の痛酷(イタミゴト)を清め、君父の仇に報復できないとなれば、死んでも臣子(ヤッコラマコドモ)の道に成らないと恨むだろう」
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解説
ここの文章は中国の歴史書の文章から引用している部分が多いのですが、それは「表現」として引用しているだけで、「史実ではない」というのはちょっと無理があるかなと。
ともかく新羅は任那を攻め滅ぼしました。その残虐な様子はなかなかです。これは韓国がベトナムで起こしたライタイハンと呼ばれる行為と同じ印象を受けます。
儒教は上下関係を重んじます。それが平和に繋がると考えているからなのですね。では、上の言うことを下が聞かなかったらどうなるのか?というと、これは暴力によって従わせることになります。といっても、建前は「平和・秩序維持のため」ですが、ともかく暴力が正当化されます。
よって上は下にどんな残虐なことも出来るようになります。これが日本の神道の場合だと「祟り」「怨霊」という思想があり、敵だろうと味方だろうと、「死」というのは心良いものではなくなります。キリスト教の場合だと、人は皆、神の子であり、人が勝手に命を奪って良いものではありません。まぁ、実際にそれで暴力が完全に抑制されるわけじゃないんですが、神道にしてもキリスト教にしても、「暴力に対する抑止」というものがあるのですね。
ところが儒教にはこの抑止の要素が少ない。徳治主義で法律が弱いので、法律も効かず、先祖は祀っても血縁以外の魂は祀らないから、鎮魂の感覚もなく、怨霊や祟りの恐怖も無いですからね。儒教では道徳というのが重んじられるのですが、暴力が道徳によって後押しされているので大変です。残虐になってしまうわけです。
神功皇后
新羅といえば、神功皇后…そういう感覚があったのですね。これって結構大事なことだと想います。
ともかく新羅は任那を攻め滅ぼしました。その残虐な様子はなかなかです。これは韓国がベトナムで起こしたライタイハンと呼ばれる行為と同じ印象を受けます。
儒教は上下関係を重んじます。それが平和に繋がると考えているからなのですね。では、上の言うことを下が聞かなかったらどうなるのか?というと、これは暴力によって従わせることになります。といっても、建前は「平和・秩序維持のため」ですが、ともかく暴力が正当化されます。
よって上は下にどんな残虐なことも出来るようになります。これが日本の神道の場合だと「祟り」「怨霊」という思想があり、敵だろうと味方だろうと、「死」というのは心良いものではなくなります。キリスト教の場合だと、人は皆、神の子であり、人が勝手に命を奪って良いものではありません。まぁ、実際にそれで暴力が完全に抑制されるわけじゃないんですが、神道にしてもキリスト教にしても、「暴力に対する抑止」というものがあるのですね。
ところが儒教にはこの抑止の要素が少ない。徳治主義で法律が弱いので、法律も効かず、先祖は祀っても血縁以外の魂は祀らないから、鎮魂の感覚もなく、怨霊や祟りの恐怖も無いですからね。儒教では道徳というのが重んじられるのですが、暴力が道徳によって後押しされているので大変です。残虐になってしまうわけです。
神功皇后
新羅といえば、神功皇后…そういう感覚があったのですね。これって結構大事なことだと想います。
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