備前の児嶋郡と倭国の高市郡に屯倉を設置

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欽明天皇(七十三)備前の児嶋郡と倭国の高市郡に屯倉を設置

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原文

秋七月甲戌朔己卯、遣蘇我大臣稻目宿禰等於備前兒嶋郡、置屯倉。以葛城山田直瑞子、爲田令。田令、此云陀豆歌毗。

冬十月、遣蘇我大臣稻目宿禰等於倭国高市郡、置韓人大身狹屯倉言韓人者百濟也・高麗人小身狹屯倉。紀国置海部屯倉。一本云「以處々韓人爲大身狹屯倉田部、高麗人爲小身狹屯倉田部。是卽以韓人・高麗人爲田部、故因爲屯倉之號也。」

現代語訳

(即位17年)秋7月6日。蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)たちを備前(キビノミチノクチ)の児嶋郡(コジマノコオリ)に派遣して屯倉(ミヤケ=直轄地)を設置しました。葛城山田直端子(カツラギノヤマダノアタイミツコ)を田令(タツカイ)にしました。
田令は陀豆歌毗(タツカイ)と読みます。


冬10月に蘇我大臣稲目宿禰(ソガノオオオミイナメノスクネ)たちを倭国の高市郡(タケチノコオリ)に派遣して、韓人大身狹屯倉(カラヒトノオオムサノミヤケ)
韓人は百済人です。

と高麗人小身狹屯倉(コマビトノオムサノミヤケ)を設置しました。紀国(キノクニ)に海部屯倉(アマノミヤケ)を設置しました。
ある本によると、あちこちの韓人を大身狹屯倉(オオムサノミヤケ)の田部(タベ=田を耕す民)としました。高麗人を小身狹屯倉(オムサノミヤケ)の田部としました。韓人・高麗人を田部にしました。それで屯倉の号(ナ)とした、といいます。
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