魁帥綾糟の三諸岳の誓い

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敏達天皇(十四)魁帥綾糟の三諸岳の誓い

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原文

十年春潤二月、蝦夷數千冦於邊境。由是、召其魁帥綾糟等魁帥者、大毛人也詔曰「惟、儞蝦夷者、大足彦天皇之世合殺者斬應原者赦。今朕遵彼前例、欲誅元惡。」於是、綾糟等、懼然恐懼、乃下泊瀬中流、面三諸岳、歃水而盟曰「臣等蝦夷、自今以後子々孫々(古語云、生兒八十綿連)用淸明心、事奉天闕。臣等若違盟者、天地諸神及天皇靈、絶滅臣種矣。」

現代語訳

即位10年春閏2月。蝦夷が数千、辺境で反逆しました。それで魁帥綾糟(ヒトゴノカミアヤカス)たちを呼び寄せて詔(ミコトノリ)して言いました。
魁帥(ヒトゴノカミ)は大毛人(オオエミシ)です。

「推察するに、お前…蝦夷は大足彦天皇(オオタラシヒコノスメラミコト景行天皇)の時代に、殺すべきものは殺し、許すべきものは許した。今、朕(ワレ)は、その前例に従って、元々の性質から悪のものを誅殺しよう」
綾糟(アヤカス)たちは、畏まり、恐れ、泊瀬(ハツセ=初瀬川=奈良県の大和川の上流のこと)の中流に下りて、三諸岳(ミモロノオカ=奈良県桜井市の三輪山)に向かって、水をすすって誓って言いました。
「わたしめら蝦夷!
今より以後、子々孫々(ウミノコヤソツヅキ)…
古語には生児八十綿連(ウミノコヤソツヅキ)と言います。

清らかで明るい心を持ち、天闕(ミカド=天皇)に仕えましょう。わたしめらがもしも誓いを違えば、天地のもろもろの神と天皇の霊(ミタマ)が、わたしめの種(ツギ=種族)を絶滅させるでしょう」
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解説

景行天皇の時代、景行天皇の子のヤマトタケルが九州から関東まで征伐に行き、東北の蝦夷を虜囚として、中央まで連れて来ました。彼らは中央で揉め事を起こしたために、結局中四国地方に配置されました。彼らが「佐伯」です。

虜囚と言いましたが、佐伯は実際には地方の名士です。間違いなく「蔑まれた異民族」ではありません。
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