礼を改める・黄書画師と山背画師

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推古天皇(十九)礼を改める・黄書画師と山背画師

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原文

秋九月、改朝禮。因以詔之曰「凡出入宮門、以兩手押地、兩脚跪之。越梱則立行。」是月、始定黃書畫師・山背畫師。

現代語訳

(即位12年)秋9月。朝廷の礼を改めました。それで詔(ミコトノリ)して言いました。
「すべての宮の門を出入りする時は、両手で地を押し、両方の足を膝まづいて、梱(トジキミ=門の仕切り)を越えたら、立って行け」

この月に黄書画師(キフミノエカキ)・山背画師(ヤマシロノエカキ)を定めました。

解説


魏志倭人伝にも同様の「礼」の記述があることから、この礼自体は、儒教や仏教とは関係なく、日本にあったものだと思われます。しかし、仮にこれが「古来からある儀式」だとして、ここで「改めた」となると、それまではしていなかったことになります。

つまり「天皇」に対してはしていなかった儀式を、天皇に対してするようになったということになります。つまり、天皇の地位はこれ以前とこれ以降では違い、「地位が上がった」ということではないかと。
画師
日本人は穢れを嫌い、獣の死体を恐れた。その結果、筆に触れられなかった。聖徳太子がここで「絵師」を定めたのは、仏教と神道の融合を図った策の一つだと思います。
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