冠位十二階の実施

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推古天皇(十七)冠位十二階の実施

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原文

十二月戊辰朔壬申、始行冠位。大德・小德・大仁・小仁・大禮・小禮・大信・小信・大義・小義・大智・小智、幷十二階。並以當色絁縫之、頂撮總如囊而着緣焉。唯、元日着髻花。髻花、此云于孺。
十二年春正月戊戌朔、始賜冠位於諸臣、各有差。

現代語訳

(即位11年)12月5日。初めて冠位を行いました。
大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智。併せて12階。ならびに冠位に当たる色の衣を縫いました。頂(イタダキ)は取り、すべて袋のようにして、縁(モトホリ)を着けました。ただ、元日には髻花(ウズ)を挿しました。
髻花は于孺と言います。

即位12年春1月1日。初めて冠位を諸々の臣たちに与えました。それぞれに品がありました。
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解説

冠位12階
仏教を推し進めたはずの聖徳太子ですが、冠位十二階を見ると、「徳・仁・礼・信・義・智」となっていて、これは明らかに儒教の考え。
●儒教では大事なものとして「五常」があり、この順番を「仁義礼智信」と表記します。冠位12回の順番が変なのは、五行思想の木火土金水に対応しているためとされます。
●これが五行思想の影響ならば、聖徳太子は仏教・儒教・道教の思想を混ぜ込んで実務を取ろうとしていたということになります。

この冠位の名前は日本独自のもの。朝鮮半島(百済や新羅や高句麗)にも役人の官位はあったが、それを冠と結びつけたものはなく、また冠位の名前も全然違う。
つまり、聖徳太子は仏教を推し進めつつ、儒教の感覚を取り入れて実務に取り組んでいったということになります。

位を設けることや、上下関係を持ち込むことは、政治を安定させるには重要なことで、むしろこれまでの日本の「和」の感覚では、国家運営は行き詰まるという考えが聖徳太子にはあったんじゃないかと思われます。
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